正常な世界にて
【第8章】
約束のクリスマスイブ。私と坂本君は、リア充で賑わう電車内にいた。まあ傍から見れば、私たちもそう見えるだろうけど、クラスメートには目撃されたくない。
「堂々としていればいいんだよ? クリスマスイブデートが初めてだからって、恥ずかしがらなくても」
「デートじゃないでしょ。それに恥ずかしいのは、私たちが座っている場所のこと」
珍しく小声で話す私たち。
なにせ、私たちが今いるのは優先席なのだ……。私のすぐ隣には熟睡中のおばあさんがいて、目の前にはおじいさんが立っている。
「ボクたちは優先席に座っていいんだってば。一応障害者なんだから」
「そうかもしれないけど、周りの人にはわからないよ……」
現に周囲の人々から、チラチラと見られているのだ。すごく気まずい……。沸き立つ罪悪感で苦しいぐらいだ。
「信子さんや。お昼はまだですかの?」
どうやら、目の前にいるおじいさんはボケているらしい。耳も遠いらしく、両耳に補聴器が入っている。小便でも漏らされたら嫌だな……。
ある駅で電車が停まり、ドア付近で人々が行き来する。そして、電車は再び走り出す。
「ハイ、お待たせ」
声をかけられたのはそのときだ。
おじいさんの真横に、仕事場でメモを渡してきたあの男が立っていた……。今の駅で乗ってきたんだろう。
「一人で来たんじゃないのか」
坂本君を見るなり、男が言った。ふと考えてみれば、そのほうが気楽かもね。
「なんだ、やっぱりナンパ目的?」
「……そうじゃない。真面目な話だから頼むよ?」
坂本君のからかいを受け流す男。口が軽いし、彼は信頼されていないらしい。
「赤の他人にも聞かれてほしくない、大事な話なんだよ」
男はそう言うと、隣りのおじいさんの両耳から、補聴器のイヤホンをササッと抜いてしまう……。よほど鈍いらしく、おじいさんは全く気づいていなかった。