正常な世界にて
チケット売り場の係員の表情が気になりながらも、私たちは無料で東山動植園に入ることができた。負い目を和らげるため、百円玉を寄付箱へ放りこんだ。名古屋の貴重な観光名所だし、潰れては元も子もない。
広いだけの植物園や古ぼけた遊園地は別として、動物園は混み合っていた。快晴の休日だけある混雑だ。動物園の長所は、多少混んでいても、人気動物を除き、客の回転率が比較的高いというところ。ただ、匂いと寒暖がキツイという短所はあるけどね。
最近の人気者はイケメンゴリラ「シャバーニ」で、その飼育場周辺が特に混雑していた。とりあえず、そこは後回しにして、他を見て回る。けっこう広いから、時間を有効活用しなくちゃね。
日当たりの悪い飼育場にいるヒグマは、窓際をひたすらウロウロしていた。飽きもせずにずっとだ。でも私も時々、家中をああしてウロウロしてしまう癖がある。たいていは考え事に夢中でね。
「こんなクマでも、銃さえあればボクでも倒せるよ! あっ、意味深じゃない銃のほうね!」
坂本君が何か言ったけど、構わずにスルーした。
ニホンザルの飼育場では、大勢のサルが思い思いに過ごしていた。駆け回るサルもいれば、毛づくろいしてもらうサルもいる。多忙で余裕のない日本人からすれば、呑気この上ない。
「去年の今頃だったかな? そのとき付き合っていた女の子のすっぴん顔にそっくりだよ、ここのサル」
ヘラヘラと喋る坂本君を、さっきのヒグマの飼育場に放り込んでやりたくなった……。
お昼どき。天気の良い日曜日なので、食べる場所を確保するのに苦労した。しばらく歩き回り、空いたばかりの四人掛けに腰を下ろせた。周りは家族連れや、私たちのようなグループで一杯だ。幸い、顔見知りはいない。
昼食は高山さんが持ってきてくれたお弁当だ。坂本君の分も用意されている。そして中身は、お握りに数種類のおかず!
「わあ! おいしそう!」
無邪気な子供のような声を上げる坂本君。このときだけは可愛く感じた。
「でも、精神病質の高山さんが作ったから、こっそり猛毒が入っていたりして」
……前言撤回する。もはや失言癖があるとしか思えないね。
「失礼ね! そんなことを言うなら、食べないでよ。ペンギンの飼育場に落ちている生魚でも食べていなさい」
本気ではないけど怒ってみせる高山さん。
「冗談だよ! 冗談!」
ヘラヘラと笑いながら釈明する坂本君だった。こんな調子の男と付き合う女が、なぜ世にいるのか不思議だ。