正常な世界にて
【第49章】
「おっ、なんか楽しそうだね!」
そんな明るいセリフは、言うまでもなく坂本君の口から。ただ普段と違い、痛みや恐怖に耐える調子が含まれ、強がりに聞こえる声だった。額には数滴の冷や汗。
「大丈夫?」
「じき死ぬよ?」
私と高山さんは彼に言った。死闘を中断してでも、何か言ってやりたかったのだ。彼女もきっと、かつての日常が脳裏に浮かんだらしい。
「あー、全然大丈夫。……いや全然じゃなくて、死ぬほどじゃないってこと」
彼はそう言うと、シャツブラウスのボタンを上から三番目まで雑に外し、下の肌着をガバッと見せてきた。セクハラに近い行動だけど、この場で訴えようという気は起きない。
模様のある細長い金属が、両肩から住宅街の小道みたく何本も走っていた。首元に近い一本は、蛍光灯に鈍く照らされ、目立ってよく見える。
「……自分でそれ、何の金属を貼りつけたの?」
私と同じ疑問を、高山さんが投げかけた。ただ、ナイフを握る手から力を抜く素振りはない。後で死体を調べてじゃなく、本人の言葉でさっさと知りたい感じ。
「集めた腕時計のベルトだよ! いらなくて金属のやつをあるだけ、ボンドや紐で付けてみた。重いから、撃たれたり刺されたらヤバそうな部分だけにね」
彼は自慢げに言った。痛みに堪えながらね。
ああなるほど、彼が頂戴した腕時計は左腕の四本だけじゃないというわけだ。褒めないけど、彼の強欲が命を救ったという展開に。
大成功ではないらしく、彼が今も見せつける肌着の左胸は、赤くにじんでいる。それでも高山さんの右横腹よりはマシで、これなら形勢逆転へ!
「コレ使っちゃうよ!」
シャツの襟から手を離すなり、ズボンの尻ポケットから例の小包を取り出した。とっても誇らしげに。
小包こと砂糖爆弾がそこにあった。痛みでブルブル震える右手に掴まれて……。
「ちょっ、まだ止めて! 使わないで!」
私は叫んだ。ナイフの刃が眼前で光るのも忘れ、必死の叫び。
……ところが不運が起き、私の言葉は彼に届かなかった。真上近くでブラ下がる電光掲示板の残骸が、激しくショートし高音を鳴り響かせたのだ。タイミング悪く、自分でも声が小さく聞こえたほど。火花が降りかかり、目をつむり口を閉じずにいられない。
ショートは数秒間で、火花もすぐ止む。だけど、目を開けたときには手遅れだった。坂本君の指先に、砂糖爆弾の安全ピンがしっかり摘ままれている。爆弾が握られた左手は、もう肩から上へ……。