正常な世界にて
……ホームで鳴り続ける防犯ブザーの数メートル先で、ベンチに腰かける高山さんがいた。角度的に右腕はあまり見えないけど、武器じゃなく自分の右横腹を掴み、出血を抑える最中だ。シャツの左半身へ描かれた、赤く派手なグラデーション。
左腕は太ももにだらんと置かれ、包帯や空容器やらが足元に散らばっている。十メートルぐらい離れたここからでも、彼女が独り無様だと把握できてしまう。
世界がこんな有り様じゃなければ、酔っ払いのステレオタイプともいえた。ポリコレ対策として、中年男性じゃなく若い女性を起用しました的な。
さておき高山さんは、昼寝中でも死にそうな状態に陥っている。「起きたら死んでた! まあどうしよう!」という具合にね。
だけど、彼女の近づく私たちの足取りはゆっくりで、早まることはなかった。死に体の彼女を助ける気が湧かない……。
残念か残念じゃないのか、高山さんは意識を保っている。彼女は私が防犯ブザーを止めた直後から、私たちをじっと見つめている。置かれた状態からすれば健気だね。
「ああっ、いったい、何を、やってる?」
彼女は座ったまま言った。強気らしいけど、去るクリスマスパーティ頃からすれば、彼女の口調には弱々しさが目立つ。
ベンチに近づく際、無意識に壁際へ目をやると、排水溝を流れる水が赤色に薄く染まっていた。
どうやら伊藤は、想定外の活躍を披露してくれたらしい。そう思うと同時に、私は悔しさや焦りを湧かせた。