正常な世界にて
高山さんの残した赤い道筋は、地下鉄のプラットホームに下りる階段へ続く。血痕の滴り具合から、一歩ずつ階段を慎重におりたことがわかる。顔を歪めながら下りる高山さんを思い浮かべたけど、湧くのは憐れみだけ。
「一人でその、よく下りれたよね」
蛍光灯が冷たく灯る階段の下に、彼女の姿はなく、血痕らしき汚れが見える。直感として、人の気配は御一人様。
彼女一人の力で、世界がこうなったわけじゃないけど、同情などしない。先に暴力を振るったのは高山さん側だし、例のクリスマスパーティ頃から彼女は危険人物だった。「かつての」という言い方は尚早だけど、もはやそんな友達かつクラスメートに過ぎない。
「まあ、駅員が助けたように見えないもんね」
坂本君はそう言うと、階段を一段ずつ慎重におりていく。散弾銃を構え、高山さんが見えた途端、撃つ覚悟が伺える。その覚悟は私にもあり、自然と後に続いていた。
ただ坂本君の、警戒しながらゆっくりした足取りは、軽いものへすぐさま変わる。高山さんを逃がさず、安らぎを早く得たい心情が、彼本来の衝動性に発破をかけるのだ。……気づけば、私自身もそんな調子で、ありえる光景を連想できた。
聞き耳を立て、仰向けに寝転がり、予備の銃を構える高山さんの姿。もしくは、期待の罠を見守る姿。安っぽくも笑えない光景が、たぶんそこに……。
「コレ使ってみるね」
私はそう言うなり、ポケットから防犯ブザーを取り出した。そして、坂本君が何か言う前に、それを階段の下へ放り落とす。焦りからのとっさの行動だけど、ピンはちゃんと抜けた。
ポカンと見返る坂本君の脇を、小さな機械は飛び、耳障りな高音を立て始める。階段の下に落ち、死角へ消えた後も音は止まない。
高山さんが警戒中なら、防犯ブザーを黙らせるか遠くへ投げ捨てるだろう。ケガした身には、なおさら応える騒音だからね。
人の気配は今も感じるので、プラットホームに誰かいるのは確かだ。高山さんの仲間だとすれば、ブザーをなんとかするはずで、彼女だとすれば、その余裕がないほどの状態……。
「完全にバレたよ」
坂本君は苦々しく言うと、階段を再びおり始める。思い出したように慎重にね。
今のがきっかけで、彼や私の足取りが早まることはなかった。小さな事だけど、死んだあの子たちに感謝しなきゃいけない。
プラットホームに着いた途端、例のピンポン音が防犯ブザーよりも活きた音色を奏でたけど、その時の私にはノイズに過ぎなかった。坂本君も同様らしく、銃口を斜め下へ向けたほど。