正常な世界にて
やがて、ガンガールは無抵抗というか、しんみりとおとなしくなる。気絶したか死んだかで、どっちにしろ彼女はおしまいだ。坂本君は拳を止め、彼女をじっと睨みつけている。
右耳を床に着けたまま、冷たい床に茶髪を広げる彼女。反対側へ向いた顔面は、かなり酷い有り様だろうね。あまり想像したくないけど、歯が何本か抜け落ちたマヌケ面に決まってる。
「これぐらいでいいね。どこかに隠して放置すれば、そのまま死んでくれるよ」
伊藤が素の口調でサラリと言った。コンポストにスイカの皮でも放りこむかの如く……。
「いやいや、まだまだいける! いけるよね!?」
坂本君が馬乗りのまま呟いた。いつもの明るい口調で、ガンガールにもそう呼びかけた。
そして、彼女から返事がない中、暴行を再開する彼……。
「……それ以上は、その、もう」
彼に言ったものの、殴り続ける彼の恐ろしい横顔を見て、小声にしかならなかった。伊藤には聞こえたはずだけど、私を一瞥しただけで、追い打ちをかける坂本君を止める気はゼロらしい。伊藤は竹箒を壁に立てかけると、腕組みして見守りに入った。
腕が振るわれる度に舞う、鮮血少々。次第に描かれる、赤く荒い点描。
……ほぼ一方的な暴力だ。「ほぼ」というのは、殴られるガンガールが左腕を動かし、微かな抵抗を示したから。虫の息ながら、彼女はまだ死んでいない。
だけど、虫の息は人間が日常的にすることじゃなく、単なる激痛じゃない苦しみが駆け巡っているはずだ。彼女は苦しみもがきつつ、その域から脱しようとしている。行き先に拘らず、とにかくとりあえず……。
彼女の抵抗に気づいたのか、坂本君は腕の動きを緩急をつけ始める。バシバシ殴るか、ネットリ殴るかの違いで、優しさはない。
いくらガンガールに罪があるとはいえ、まだ生きている人間に残虐な刑罰を与えていいものかな? リセットで警察や司法が消失し、私刑に頼る現実はあるけど。
「ちょっと! 終わらせるなら早くして!」
そう言うしかなかった。どうせ殺すなら、早くやってあげてという折衷案だ。彼女を生かすのは許されないにしても。
「もう少し待っててよ」
彼は私にそっと言った。殴打再開直後とは違い、表情や口調から恐ろしさが消えている。高校で掃除当番(楽な類のやつ)でもやってるような、平然とした調子だ……。
リセットで狂った日常の典型例を、彼は自然に演じている。私の反応を楽しんでいるわけでもない。伊藤は見守りに飽き、拾ったサプレッサー付きショットガンを観察する始末。
経緯を知らない第三者の目には、「障害者が障害者を殴りつけ、他の障害者が知らぬ存ぜぬ」という地獄に映る。