正常な世界にて
【第41章】
ガンガールが走り去った数秒後、ピロティの外から乾いた発砲音が何度も響いてきた。ガラスが割れる音、金属が軋む音、分厚い風船が割れるような音と共に。
車のエンジン音も合間に聞こえるが、発砲の度に、弱々しく不安定な音色に変調していく。下手に例えるなら、クラシック音楽のボレロを逆方向で進む感じだ。今奏でているのは、ガンガールとハリアーによる、散弾とエンジンによる新境地だ。
……彼女は今、文字通り無人の車に発砲を繰り返している。坂本君が渋々押したスマートキーで、路駐してあったハリアーが唸りをあげた。ドライブじゃなくおとりだけど、車には関係ない。
我ら愛知県が誇るトヨタ車の粘りに期待しよう。テレビ番組『トップギア』のハイラックスの如くね。
「自分で歩けます?」
さて、ガンガールがトヨタ車相手に戦うスキに、さらなる安全を確保しなきゃいけない。止血されたとはいえ、伊藤のケガも心配だ。コミュニティまで運べれば、まず助かるはず。
「なんとか。……いや自力では無理そうだ」
「ボクが肩を貸すから、森村は先にコミュニティまで走って」
坂本君はそう言うと、伊藤側の柱へそっと移り、彼の左脇下に腕を通した。
「いや、あの部屋までお願いするよ。まともな救急箱が備えられているからね」
伊藤が右人差し指で示したのは、駅事務室のドアだ。電灯は点いているが人気のない一室。半開きのガラスドアの前には、「定期券はこちらで」の看板が虚しく倒れている。
私は二人にうなずくと、早足で駅事務室へ向かう。できるだけ音を立てないように進んでいたが、銃声が止んだ十秒間ほどは冷や汗が湧きまくりだった。それがリロードの時間だと理解できたときは、安心感から座りこみかけたほど。
まったく彼女は罪な女だ……。
駅事務室は荒れていた。案の定、駅員も泥酔客もおらず、室内の薄暗さが強調される。
もうたいして驚かない。生ゴミを床にぶち撒けたような腐敗臭も含め、私の感覚は順応しつつある。
定期券販売による現金が狙われたらしく、部屋の中央にこじ開けられた金庫が放置されている。残った蛍光灯に床で照らされる数枚の十円玉やネジの類。こんなご時世の中、盗まれた現金はどこに行き、使われるんだろうか?
……そんな疑問を忘れさせる光景が、事務室の奥で起きていた。油断した私に驚きを与えるには、その光景は少し強烈だった。