正常な世界にて
「ううっ……」
伊藤は口を閉じながらも、激痛から生じる声を抑えきれていない。微かだけど、漏れ出る言葉が私の耳にも届くほど。聴覚が発達したガンガールにはハッキリ聞こえているだろう。
伊藤は路面を必死に這い、池下駅のピロティ内へ身を隠そうとする。路面に引かれていく、細長い血の跡は儚く見えた。
……ここでまた、乾いた銃声が響き渡った。
こういうと、伊藤が致命傷を喰らったみたいだけど、幸いそうならなかった。神様は埋め合わせとして、伊藤にも奇跡を与えたみたいだね。
ガンガールが放った散弾は、「池下駅」という立体文字看板に命中した。砕けたフォントの破片が、伊藤にも降りかかりながらも、傷は増えていない。
「あっ、クソッ」
ガンガールの軽口が聞こえた。外面と違い、男っぽい内面をお持ちらしい。……まあ、誤解を恐れずにいうとね。
彼女のショットガンは弾切れを起こしている。しかし、坂本君と違うのは、予備の弾がちゃんとある重要な点だ。ウエストバッグから、新しい散弾をつまみ出していく。
これは大きなスキだ。映画で得た知識だけど、こういうショットガンは一発ずつこめる必要がある。ハリウッド俳優演じるキャラですら、一瞬ではリロードできていない。
私はリロード中の彼女に飛びかかる。いつもの衝動性からね。
ただ恐怖心もあり、体がついてこれなかった。上手く立ち上がれなかった私の両手は、彼女の足首を掴む。ニーソックスが少しずり下がった。
「ちょっと!」
ガンガールは怒りだした。見上げた際にパンツが思い切り見えたけど、申し訳なく思わない。
彼女は顔を紅潮させると、私の両手を振り払う。拍子に転びかけた彼女は、ショットガンを杖にして体を必死に支える。もし無様に転んでいれば、彼女はさらに激高したに違いない。
「おい、今のうちに!」
坂本君が私の左肩を一度叩く。そして、そのまま肩を掴む形で、無理やり起き上がらせてくれた。
まだ反撃できるけど、激高する彼女から離れたい気持ちが勝った。伊藤のケアもある。彼はピロティに身を半分ほど隠せたところだ。履くチノパンの大部分が赤く染まり、歩道に残る赤色もハッキリ見える。
私たちは早足で伊藤の元へ向かう。駆け出したい気持ちが湧くけど、音を立てちゃダメだ。自然と慎重になる足取りと息遣い。頭を軽く下げ、口元を両手で覆う。背中を撃たれるよりはマシだけど、早くも息苦しさが……。