正常な世界にて
しかし、少女は気絶しているようだ。止血されておらず、タイル床の溝を血がノロノロと流れている。
「それより上にいかないと!」
あのまま放置しておけば、出血多量で死ぬ。ここで今すぐ息の根を止める必要はない。
「ああわかったよ!」
了解した彼は、彼女の右すねを一発蹴る。さすがの彼も、死にかけた同年代相手に、それ以上は自粛したらしい。
ただそれでも、伊藤たちの件を早く片付けてしまおうと、エレベーターじゃなく階段へ向かう。とはいえ、最上階での爆発を考えれば、そのほうが安全だね。
階段へ通じるドアが、開け放たれた勢いで壁に当たる。ロビーに反響し、大きな音に驚く仲間たち。
そのとき確かに、彼女も軽くだが反応を示した……。
拘束されていて、彼女は幸いだね。じゃなきゃ、何発か蹴って、確実に気絶させてやる。
最上階の廊下へのドアを坂本君が開くと、そこに伊藤がいた。彼は頭から血を流しながらも、自分の足でなんとか立っている。
彼のケガはまだマシなほうで、仲間のほとんどは重傷を負っている。かろうじて軽傷で済んだ人が応急措置に回るほど、酷い有り様だった。増した煙臭さに、血の鉄臭さも混ざりこむ。
だがそれでも、戦い終えたことによる高揚感が満ち溢れ、誰も泣き喚いてなどいない。早くも勝利に酔いしれている人がいるほど。
伊藤の話だと、このフロアには始め、敵が五人潜んでいた。そのうち一人があの彼女で、他の四人を倒せた直後に爆発が起きた。どうやら自爆らしく、二人が巻き添えになる。廊下の端に目をやると、二人分の死体がシーツに覆われていた。そこから排水口まで流れる、赤黒い血の筋。
「一人は昨夜逃がした奴だったよ。……だけど、高山奈菜はいなかったし、いた形跡も見つかってない」
伊藤はそう言うと、敵が潜んでいた一室へ案内する。倒れた玄関ドアには、銃撃による凹みが数え切れないほどできていた。
激戦となった室内は、リフォームせずに済む箇所が見つけられないほど、荒れに荒れ果てている……。砕けたフローリングの木片、無数の空薬莢、断熱材のワタ、家具や電化製品の残骸。
テレビで観たゴミ屋敷の映像を思い出したけど、別の意味でここは悲惨な様相だ。生死はともかく、家主には同情する。
「森村、ちょっとそこ、見てごらんよ?」
坂本君はそう言い、洗面所の端を指さした。ほんの一瞬だけど、彼は半笑いを浮かべていた。