正常な世界にて
ところがそのとき、別の出来事が起きる。しかもそれは朗報の類いのね!
スナイパーが潜んでいたベランダから、ライトグレーの煙がモクモクと吹き出される。その一戸全体に煙が満ち溢れ、窓の隙間からも煙が漏れ出るほどだ。濃く激しい煙で、ベランダの大部分が覆われ見えなくなる。
あれは火事じゃない。別行動の伊藤たちが、マンションの最上階に到着し、スナイパーと直接戦ってくれている! あの強力な煙は、スモークグレネードによるもので、煙ごしに銃声や発火炎を見聞きできた。
中に潜む敵が多かったり、明らかに劣勢であれば、一旦退却する約束だったから、あの様子だと勝ちが見えているらしい。そうじゃなければ、坂本君の悪い予想が、やはり的中したことになる……。
「あっ、出てきた出てきた!」
坂本君が声を上げる。
あのスナイパーがベランダに再び現れた。シーツに隠れることもなく、彼女は必死の様子。ケガは負っていないようだけど、白い長ズボンの一部が赤く染まっている。伊藤たちの血か、彼女の仲間のそれか……。
発砲は依然続いており、ベランダ側の窓が次々割れていく。煙と銃弾の両方に追いやられていく様だ。彼女はやはり、私たちと同年代の少女で、肩に触れる長さの黒髪を生やしていた。煙や風で髪が揺れる中、ベランダの柵際にしゃがみこんでいる。彼女のライフルは背中だ。
戦うのを諦めたのかな? それとも単に悲しんでいるのか。
「手柄を先に取っちゃいなよ」
私を煽る坂本君。それに応えるわけじゃないけど、スコープの照準をゆっくり合わせた。彼女が賢ければ、伊藤たちに投降するはずだ。無罪放免というわけにはいかないけど、その場で処刑は避けられる。エロ漫画みたいにレイプされる事態もまず無いし、私が目にしたい一場面じゃない。
とはいえ、私が彼女の立場なら、投降や抵抗以外の道を選ぶかも……。自殺という道をね。別に潔くとは言わないけど。
ところが、あの彼女は、私が思い浮かべた道ではなく、別の道を選んでみせた。屈することも恥じることもない、逃亡という道を……。彼女が現実の敵じゃなく、画面や文面上の存在であれば、心の中で拍手喝采だ。
彼女は腰に頑丈なロープを巻いていて、最上階から降下し始めた。両方の足裏を壁面に当てつつ仰向けに降りる、アクション映画ではお馴染みのアレだ。ロープを両手で掴み、慎重ながらもスムーズに、下階へ下階へと降りていく。
私と同じ年恰好ながら、彼女は相当の訓練を積んでいるに違いない。うーん、カッコイイね! 興奮した私は、スコープから自然と目を離す。