正常な世界にて
「逃がしちゃダメだよ! 撃っちゃいな!」
私の感心に構うことなく、坂本君が言った。
しかし、彼を無情だと非難できない。坂本ママの死因の大半は、彼女の狙撃が原因なのだから……。それに彼女は、高山さんの手下で、無邪気に喝采できる相手じゃない。
深呼吸を繰り返し、心をなんとか入れ替えた私。スコープに浮かぶ照準の中央点を、降下する彼女の尻辺りに合わせた。これだけ余裕を取れば、反動を相殺できるはず。
そして、余計なことを考える前に、私は引き金を素早く引いた。幸い、銃弾は何も考えない代物だ。
……もちろん、私がどこを狙ってるかも、銃弾は一切考えてくれやしない。そう、今度も狙いが逸れたのだ。
さっきは上方向だったけど、今度は右方向に弾道がズレてしまった。割れた外壁の破片が、彼女の横顔に当たる。しかし今度は、まったく驚きを見せない。
狙撃は予測できたとはいえ、着弾点から頭部まで三十センチも離れていないのだ。私ならパニックになり、ロープから手を放してしまう。そして、その数秒後、地面に背中か頭を叩きつけるのだ……。
「ちゃんと狙ってる?」
双眼鏡を覗きながら、坂本君が言う。当然イラッときたけど、深呼吸することで平静を取り戻せた。イラついたままじゃ、次の弾も間違いなく外してしまう。
「狙ってるよ。ホントに狙ってる」
私は言った。坂本君だけじゃなく、自分自身にも届ける言葉だ
彼女はもう中程まで降下している。ライフルが弾切れになる頃には、彼女は地面に足を着けているだろう。
今のところ、最上階のベランダに伊藤たちは現れない。銃声が散発的に続いている。彼女の逃走を止められるのはそう、私だ。
グリップから右手を放し、掌の汗を拭う私。それからグリップを握り直し、照準を調節する。今度は絶対外さない。