正常な世界にて
「駅の近くなんだよね?」
「そうそう」
高山さんについて歩く私。今は栄の地下街で、多くの人々が行き来している。今日は金曜日なので、夕方以降はさらに混雑するだろう。
放課後、私は高山さんに連れられ、名古屋の繁華街である栄へやってきた。定期券外で交通費がかかるが、せっかくの誘いを断ることはできなかった。
「……高山さん、その、変なところじゃないよね?」
恐怖心が湧いてくるので、尋ねずにはいられなかった。
「大丈夫、大丈夫! カルトやマルチの勧誘じゃないよ!」
彼女は振り返り、笑いながら言った。その爽やかな笑顔に、胡散臭さは無い。
「それならいいんだけど」
階段をあがり、地下街から地上へ出る。水色の春空は、オレンジ色に染まりつつあった。
地下街ほどではないが、地上も混み合っていた。幅広い道路を、車の群れが駆け抜けていく。道路沿いには大小あるビル群が、岸壁のように建ち並んでいた。
「もうすぐだよ」
はぐれないよう注意しながら、彼女にしっかりついてく私。
「目的地はここの九階だよ」
歩道をしばらく歩いた後、小奇麗な雑居ビルに入る。
その直前に私は、嫌な響きのある言葉が並んだ看板を目にしてしまう……。いや、目的地はそこではないはず。きっとそうだ……。
エレベーターに乗りこむ私と彼女。デジタル表示の数字が、どんどん増えていく。それに比例して、なんだか不安になっていく。
そして、エレベーターは九階で止まった。……ああそんな。
「すぐそこだよ」
ドアが開くと同時に、彼女はスタスタと降りていく。ハッとして、後を追う私。
「ここだよ、ここ」
彼女は、分厚そうな擦りガラスのドアの前で立ちどまり、私のほうを振り返った。
「……ここって、あの」
彼女の背後にあるガラスドアには、『香川メンタルクリニック』という精神科の文字が、力強く刻まれていた……。