正常な世界にて
私が右肩を、坂本ママが左肩を貸す形で、坂本君を起き上がらせる。坂本ママの筋力はたいしたもので、彼を起き上がることができた。筋トレの必要性を感じざるを得ない。
「大丈夫だよ!」
空回りな呂律を披露しながら、坂本君がそう言った。だけど、全然大丈夫じゃない。足を一歩先へ進ませられてもいないからね……。今の彼は、完全に酔っ払いと化している。将来が不安だねこれは。
「手伝いますよ」
「いえいえ、結構です! ありがとうございます!」
見かねた大人たちが協力を申し出てくれたけど、坂本ママは丁寧かつ強気な姿勢で断った。
上から目線な私の勝手な予想だけど、女手1つで坂本君を育ててきた彼女には、感服と脱帽モノだね。あとは、彼が彼女の努力に応じて、ちゃんと立派に育つだけだ。
「無理はダメだけど、できるだけ甘えずに生きなきゃダメよ?」
エレベーターで家のフロアへ上がっているとき、坂本ママが私に言った。
(姑の小言がもうスタートを切った?)
ベタだけど、そう思わずにいられない私。相手が誰にしろ、小言を投げつけられて愉快に感じる者はまずいないからね。
「昨日と今日の活躍があるから、比奈ちゃんは男に甘えなくても生きていける女だという事は、よくわかってるよ。でも世の中には、『いざとなったら男に助けてもらえばいいや』という女性が多いから。世界がこうなる前は特にね」
坂本ママの話しぶりから、信頼はされていると理解できた。心の中でほっとし、湧き出す警戒心を消沈できた私。
「私も発達障害持ちだから、世間の言う普通の生き方が簡単じゃないのはわかってる。でも、すべて諦めて甘えちゃう生き方は、簡単にするべきじゃないの」
「つまり、できる事はやるべきというわけですね?」
思わず結論を急ぎ、声に出してしまった……。衝動性による典型的なミスだ。
ちょうどエレベーターが停まり、ドアが静かに開く。私は気まずさを回避すべく、坂本君の右肩をそそくさと持ち上げた。坂本ママも続いて、左肩を持ち上げる。
女二人に両肩を任せた坂本君は、呑気な顔を晒しながら、ほとんど眠ってしまっている。やれやれ、坂本ママの大事な話が、彼の耳に全然届いていないのは確実だね。彼女の苦労が、彼の醜態によって生々しく表現されていると言える……。