正常な世界にて
昨日はあちこちでパトカーのサイレンを聞き、暴動の鎮圧に当たる警官を見た。ところが一転して今日は、死んでいた警官、死にそうな警官、すぐ死んだ警官を見ただけだ。彼らの有り様を目の当たりにすれば、自分の身は自分で完全に守り切らなきゃいけないと理解できるはず……。
「まあ、公園までアレを持ってきてくれたことには感謝しないとね」
伊藤が指さす先には、あの消防車が停まっていた。
バンパーやフロントガラス、サイレンが壊れ、多少の穴が空いている点を除けば、特に問題は無いらしい。さすが、災害向けの車だね。
感心しつつ、私は缶ビールのプルタブを開ける。そして、一口飲んでみる。
……ううっ、苦い。私の味覚には早かったらしい。口内に残る苦味を感じながら、私は缶ビールを足元に置く。
そして、あの消防車に再び目を向けた。あの車がグラウンドに突撃してきた一部始終が、私の脳内で再生される。
「フェンスを壊した瞬間は、すごく迫力ありましたよ!」
思い浮かんだ感想を口走る私。一口だけで酔ってしまったのかな? もしくは、疲労で自制心が緩んでる的な?
「少年漫画の1コマみたいだったそうだね。ただアレには、別の役目を果たしてもらうことになるよ。農業も始めなきゃいけないし」
「え? 消防車で農業を?」
「そうそう。水を運ぶポンプおよびタンクとして使おうと思ってる。水道がじきに使えなくなるか、とても使えたものじゃなくなるからね」
なるほど、そんな使い方もあるんだ。シャワーを浴びれなくなるのは嫌だけど、飢え死にも嫌だね。
「自力で確保するためには、水を運ぶポンプやタンクが必要不可欠なんだけど、あのタイプの消防車はそれを果たしてくれる。もちろん、タンクに残ってた水は何よりも貴重だね。知ってると思うけど、水分が人体のほとんどを占めているぐらいだから」
彼の話を聞き、私は高山さんの両親を思い出した。それも、すっかり干からびた死体をね……。
体中から水分が抜けたあの姿は、アジの干物に一番近いと思う。自分で言っといてあれだけど、夕食が魚じゃなかったのはラッキーだ……。
「大丈夫? 何か変なこと言った?」
気持ち悪そうな表情を浮かべてしまっているらしい。「大丈夫です」とだけ、私は言っておいた。
「もしかして、高山という人の件で、嫌な事を思い出しちゃってない?」
彼は言った……。