正常な世界にて
どうやら、木橋は、坂本君が発達障害者であることを知っているらしい……。想像するのも気持ち悪いが、こっそり尾行でもしたのだろう。
「ええっ、脳? どういう意味?」
坂本君は、適当に返事をしつつも、焦りを隠せない様子だった。
「とぼけるな! お前はキチガイじゃないか!」
木橋は坂本君に叫んだ。しかも、廊下へも響き渡る大声で……。一番響いた教室内は途端に静まる。ほんの数秒間だけど、私には一時間ほどに思えた。
「は!? 何言っているんだ!?」
「坂本のどこがキチガイなんだよ!?」
「それは自分のことじゃないのか!?」
ところが、木橋の暴露を信じる者はいなかった。逆に彼をキチガイ扱いする流れに。
坂本君はだらしない女たらしだけど、人付き合いは悪くない。ADHDの衝動性からくるものとはいえ、自分から気軽にドシドシ話しかけるほどのコミュニケーション能力を彼は持っている。一方、木橋のほうは酷いもの。
「嘘じゃない! 坂本が精神科に入るところを、俺は見たんだ!」
木橋は、汚い言葉を使うかのごとく、「精神科」という部分を強調して言ってのけた……。
「ほ、本当なの? 坂本君?」
信憑性が増したので、クラスメートたちは木橋の主張を信じ始めた。空気がドロリと汚く濁る。
ここは坂本君の援護に回りたい。私も発達障害者なので、キチガイ扱いはたまらない……。
だけど言い方次第では、私も発達障害者だとバレる……。高山さんは事の推移を見守っていた。割って入るタイミングを伺っているのかな?
「確かにボクは精神科に通ってるよ」
そこへ坂本君がカミングアウトしてみせた……。誇らしげな表情ですらいる。
ああ、彼が発達障害者だとバレてしまった……。自分までどん底へ落ちていくような気分だ。
しかし、坂本君は毅然としている。カミングアウトに後悔している様子は見られない。この清々しさがモテる要因の一つだろうね。
「みんな、黙っててごめん! ボクはADHDという発達障害を抱えてるんだ!」
坂本君は、教室にいたクラスメートたちに、ハキハキとそう言った。頭を上げた彼の表情からは、すっきりとした爽やかさを感じられた。