正常な世界にて
「……ああ、森村。来ないほうがいいかも」
坂本君を追いかけると、居間で坂本君からそう言われた。
だけど、その忠告はもう遅く、私の視界にバッチリと、首吊り老夫婦が映り込んだ……。元気良く飛び交うハエが、その老夫婦の死亡確認をしてくれている。
老夫婦は寄り添うような形で、ブラブラと吊り下がっている。二人分の重さで、か細い縄は今にも千切れそうだ。百匹ぐらいのハエが、死体に止まれば切れるかもしれない……。
「このままでいいよね?」
坂本君はそう言った。「何言ってるの!?」という口から言葉が出かけたけど、寄り添うように仲良く吊り下げられている老夫婦の姿を見ると、彼のこの発言が冷たくなく思えた……。余計なことをしないほうが良さそうだとね。
坂本君は、老夫婦近くのちゃぶ台に、何かを見つけた。
「ここにメモと鍵があるよ」
坂本君の両手には、書きこまれたメモ用紙と鍵が下げられている。
「それは遺書だね」
遺書にはつらつらと、子供や孫の将来について書かれていた。要約すると、「リセットで将来が不安しかない。さらに不安になるだろうから先に死ぬ。さよなら」という内容だ。最後には「生き残れ!」というメッセージが、大きな太字で強調されて書かれたいた。これは、遺族だけじゃなくて、私たちにも向けられているようだ。
「鍵は車のじゃないね。どこかに金庫はある?」
坂本君が注目したのは鍵のほうだ……。まあ男の事だから、これぐらいの無神経さは目をつぶろう。
この老夫婦は、リセットに悲観して自殺したみたいだ。将来については、元々多くの日本人が悲観視していた。なので、昨日のリセット宣言がきっかけで、自殺を遂げる人が出てきても、おかしくない話だね。……もしかすると、この老夫婦以外にも、大勢の人々があちこちで自殺しているのかもしれない。そう考えると怖いね……。
「森村、手分けして金庫を探そう」
彼はそう言うと、ピストルを私に手渡す。
「ええ!? 渡されても私は……」
「いや、これは空のほうだよ。死んだ署長のやつ」
千種署で手に入れたピストルだった。つまり、弾は1発もこめられていない。だけど、撃てないし危ないから、このほうが安心して持てる。
「不審者がもし出たら、殺気ムンムンで銃口を突きつけてやれよ?」
彼は、少しニヤけた顔でそう言った。うーん、私たちが不審者側だと思うけど……。