正常な世界にて
「ごめんください!」
坂本君は、日常生活だと聞かないような言葉を出しつつ、玄関のドアを叩いていた。それからすぐに、ドア横のチャイムまで鳴らす。二重の呼び出しだから、誰かいればすぐに気がつくはずだ。
「…………」
「……やっぱりいないよ」
彼はそう言った。ここまでくると、確かに彼の言う通りだ。ここの住人は老夫婦だけなので、避難所へ移っていることも考えられる。もっとも、さっきの千種警察署へ避難していたとすれば、この家は空き家ということになるけどね……。
坂本君は玄関のドアノブを回してみる。念のために回してみたという感じだ。よっぽどの田舎じゃない限り、玄関は施錠済みだろう。
「あれ? 鍵かかってない?」
彼はドアを少しだけ開けている。なんと、鍵もチェーンも何もかかっていなかった……。この辺りは別に、名古屋一治安がいい場所というわけでもない。
「う〜ん、罠かな?」
彼はそう言いつつ、ドアを最後まで開いた。もしこれが罠で、ドアを開いた途端に爆発でもなったら、どうするつもりだったのかな……?
「大丈夫そうだし、入ろうか?」
玄関の安全を確認できたらしい。彼が一歩踏み込んでも、何も起きなかった。これがホラー映画なら、頭上に仕掛けられたショットガンが火を噴いてるはずだね。
玄関には、罠も人の姿も無かった。下駄箱の上に置き物が並び、上がった先の廊下の左右や奥には、ふすまが見える。どこかの部屋に仏壇があるらしく、線香の匂いを鼻に感じた。お盆の祖父母宅を、私は連想せずにはいられなかった。
玄関には、5足の靴が並んでいる。しかし、どれも古臭いデザインなので、すべて老夫婦の物だとわかった。しかし、その内の2足が、いかにも履きやすい位置に置かれており、老夫婦が在宅だということも見て取れる……。
「ごめんください!」
再度呼んでみる坂本君。耳が遠い老夫婦なら、聞こえなかったり、玄関まで来るのが遅いということもあり得る。
しかし、返事や足音はまったく聞こえてこない。夫婦仲良く、ぐっすり寝てるのかな?
「行こう。この様子なら、試し撃ちしても平気なぐらいだよ」
坂本君はそう言うと、土足のまま上がり込んでいく。いざという時に逃げるためだけど、私には抵抗があった……。