正常な世界にて
「ん? どうした?」
「ここに人がいるの! 早く助けなきゃ!」
坂本君へ言い返すと同時に、私はしゃがんで、その手を強く握りしめる。ここに人がいると、その人に伝えるためだ。生きることを諦めて、そのまま死んでしまうかもしれない。
「ヒィ! 冷たい冷たい!」
だけど、その人はもうとっくに死んでいた……。もはやテンプレートな動作だけど、私は尻餅をついて驚くしかなかった。
握った手は、冷蔵庫のハムみたいに冷たかった。今は初夏の六月なのに、死ぬとこんな低い体温になってしまうのか。死体に直面して驚き、それから学んでいく姿勢は、これからもしばらく続きそうだね……。
坂本君が、やれやれまったくな調子で、私の元へやって来た。その際に転がったガレキの小石が、突き出た手首にコツンと当たる。死体なので反応無しだ。
「……森村。残酷だけど、今は自分たちのことを優先しないとダメなんだよ?」
慰めのつもりなのか、彼はそう言った。残酷で悲しいけど、彼の言う通りだ。私たちは救助隊じゃないし、素人なりに救助活動をしにきたわけじゃない。
ここがいつまでも安全とは限らない。私は自分にそう言い聞かせた。しかし、罪悪感と謝りたい気持ちが自然と湧いてくる。まあ、心の中でそう思うぐらいは、彼も賛成してくれるはずだ。彼は元々、冷たい人間じゃないからね。
幸い、それから署の2階に上がり込むまでに、突き出した手をまた目撃することは無かった。いや、幸いなのは自分だけの話で、登ってきたガレキの中に、まだ不幸な死体が埋まっていることは確実だね……。せめて、その数が少ないことを祈った。
上がり込んだ先の2階は、オフィスデスクなどが並ぶ事務室だった。天井の蛍光灯はほとんど割れていたが、崩れた東側から差し込む日光が、室内を十分に照らしてくれている。人の姿は無く、埃やチリが机や倒れた棚に積もっていた。そして、壁や机などに、小さな穴が無数に空きまくっている……。
「火薬や血の臭いがしない?」
「……うん、少しするね」
それらの臭いが裏付けになる形で、ここで銃撃戦が繰り広げられたのだと判明する。爆発を起こした連中が、ここを守る警察官たちと激しくやり合ったのだ。
爆発もそうだけど、その連中はなぜこんなことをやったのか。強力な武装をしているぐらいだから、やっぱり高山さんの組織がやったのかもしれない……。