正常な世界にて
少なくとも、温かい食事の炊き出しが開かれていないのは確定なので、私の歩みは遅く重たくなる。しかし、坂本君の歩みに変化は見られない。ズボンの腰に突っ込んでいるピストルを確認したぐらいだ。警察署を襲撃するようなヤツ相手に、彼のピストル一丁で対抗できるのかな……? そう考えると、彼がついさっき主張した、銃を増やそう発言が正論にしか思えなかった。
「うわぁ、これは酷いね。まるで紛争地帯だ」
千種警察署の玄関がある東側に回りこんだ途端、銃撃で窓が割れることがささいな日常のように思えた。
署の東側で大きな爆発が起きたらしく、一面の外壁が崩落していた……。東側に面した室内が見えるほどだ。崩れたのは外壁部分だけみたいだけど、私には半壊のように見える。
「入って大丈夫? 危なくない?」
「大丈夫、大丈夫! 逆に入りやすくなったと思おうよ!」
坂本君が言った。無謀の要素が多いとはいえ、彼はホントにポジティブだね。自分がネガティブ過ぎる人間だと思えちゃうよ。
崩れた外壁は、ガレキとして地面に積み上がっている。そのため、1階にある玄関もガレキの山に埋まっているわけだ。なので、警察署に入るには、開放的な有り様の2階から入るしかない。大阪の天保山よりも低いけど、ちょっとした登山だね。背負うリュックも雰囲気が出ている。
幸いな事に私は、自宅からスニーカーを履いて出てきた。そのおかげで、ハイヒールやパンプスよりかは苦労せずに登れそうだ。こんな非常事態にもオシャレを楽しむような人間じゃないことは、誇っても良さそうだね。
それはさておき、坂本君に続き、私はガレキの山を登る。
「ここの爆発だけど、そこのトラックで起きたみたいだね。爆弾を荷箱に詰め込んでた感じかな?」
坂本君が登りながら言った。彼が指差す方向には、グシャグシャにひしゃげたトラックが見える。崩れたガレキにほとんど埋まっていて、運転席の様子すらわからない。
「神風か何かみたいな自爆じゃないかもだけど、死を覚悟してる連中に襲われたら厄介だよな。いわゆる「無敵の人」みたいなさ」
彼は言った。私は、自分の足元でふと視線が止まり、その途端に立ち止まる……。
「ええっ、これは……」
驚きのあまり呟いた私。
私が登るすぐ右側のガレキから、手首から先の手が飛び出していた……。傷だらけで汚れているけど、マニキュア付きで色白な手の甲なので、若い女性だとわかる。助けを求めるように、ガレキの中から外へ突き出ている。