正常な世界にて
「ハハハッ! 伊藤さんのご両親みたいに、それぞれが自立できてるみたいな夫婦を目指しますよ!」
冗談かガチなのかわからないから、これが坂本君の価値観なのかはわからない。とはいえ、この大変厳しい状況だと、専業主婦として生き抜くのは、リセット直前よりも困難な道だろうね。今日一日に社会で起きたことを考えれば、それは間違いない……。
「私の両親みたいに? 自分がやりたいことばかりじゃなくて、家族の面倒もちゃんと見るようにしなよ? 私みたいになってしまうから」
「はい、そこは気をつけますよ」
伊藤さんのアドバイスを、快く受け入れた坂本君。彼にしては珍しい反応だね。いつもの彼なら、嫌みを1つか2つ飛ばしてもおかしくないのに。
「もしかして、ご両親は今も仕事中なんですか?」
「ああ、そうだよ。父は浜岡原発で、母は船のちきゅうにまだ残ってる。ついさっきも話したんだけど、有志が何人も残ってくれたらしい」
「え? 電話が使えるんですか?」
思わず尋ねた私。スマホは圏外になったままだし、繋がっていた時はパンクしてて使えずじまいだ。
「いや、私が使った電話は、スマホじゃなくて衛星電話だよ。地震とかこういう状況でも、なんとか使えるからね」
なるほど、人工衛星を経由する電話回線か。さすがに今はまだ、宇宙空間で暴動やリセットは起きないもんね。
「家族に電話したいなら貸すよ? 長電話は困るけどね」
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
私は断った。両親はもう死んでいるし、祖父母や親戚に電話できたとしても、助けに向かう余裕は無いからね……。今は無事を祈ることにした。
マンションの中から、重そうな段ボール箱を抱えた数人の男性が出てきた。歩く度に、段ボール箱の中からガチャガチャと鳴る音が、小さく聞こえてくる。
「伊藤さん、向こうで組み立てちゃっても、もうOKですか?」
そのうちの一人が、伊藤さんに尋ねた。こんな夜中に、汗を流しながら大変だね。でも、宅配業者には見えない。
「ああいいよ、お疲れ様。設計図通りにやれば、楽に組み立てられるはずだからね」
伊藤さんがそう返すと、彼らは通りの道路へ歩いていく。やっぱり宅配業者じゃないらしい。ここの住民で、周囲の安全対策で忙しいようだ。こんな深夜まで大変だね……。