正常な世界にて
斧男が、薬品保管室へ突入してきた。右手には、血で汚れ、刃先が刃こぼれした消防斧が強く握られている。
アドレナリンがよっぽど沸きだっているのか、無言で真剣な目つきだ。私と坂本君を殺す目標に対して、過集中のモードになっているのかな?
「喰らえ!」
イチかバチかの懸けに出る形で、坂本君が注射器を突き出しながら、斧男に体当たりした。注射針が見事、斧男の首に突き刺さる。斧男のほうは、刺すそうな注射針の痛みではなく、突然の体当たりに対して驚いていた。
「何のマネだ!?」
「鎮静剤だよ、鎮静剤!」
坂本君はそう回答すると、身をさっと引いた。鎮静剤が効くよりも前に、消防斧による反撃を喰らってしまったら、相討ちで結局オシマイだもんね。
「フンッ! これぐらい平気だ!」
え? 効果が無いのか……? それとも効果が出るのが少し遅いだけなのか? とにかく今は、斧男はピンピンしている。
「覚悟を決めろ! もうゲームオーバーだ! 殺されろ!」
ううっ、彼の言うように、これでもうゲームオーバーっぽいね……。できることなら、さっき死んだ大柄患者のように、あまり苦しまずに即死させてほしい。
「それならこっちからだ!」
坂本君はそう叫ぶと、斧男に再び体当たりを喰らわせに向かう。今度はおとなしく体当たりを喰らうつもりは無いらしく、斧男は消防斧を振り下ろした。
「イタッ!」
坂本君が痛そうな声を出した。消防斧の柄が、彼の左肩を強く打ったのだ。刃先じゃなくて柄の部分だったことは、不幸中の幸いだね。だけど、すごく痛いのは間違いない。
しかし、坂本君は激痛に耐えながら、予備の鎮静剤2瓶を、斧男の口の中へ無理やり押しこんだ……。
「な、なんだぁ?」
「しっかり飲めよ!」
坂本君が、斧男のアゴを下から思い切り殴った……。最低5回は殴り続けていた。
「ウウッ!」
斧男が、ようやく痛そうな悲鳴をあげてくれた。口の中で瓶が割れて、そのガラス片が暴れているのだから、そうとうの酷い激痛だろうね……。
「…………」
ただ、斧男を苦しめたのはガラス片だけじゃなかった。さっき注射した鎮静剤がついに効き始めただけじゃなく、口の中に流出した2瓶分も、斧男に平穏をもたらし始めたのだ。とはいえ、自然な平穏じゃなくて、薬による人工の平穏だけどね……。