正常な世界にて
「おい! また逃げる気か!?」
おっと、私たちは今、喜べない状況に陥りつつあるんだった……。元チェーンソー男が、私たちについてくる。今は丸腰とはいえ、危ない雰囲気は十分にあった。
「ついてくんな!」
振り向いた坂本君が大声で怒鳴る。だけど、男の追跡は止まらない。
そして、ついに追いついた男の右手が、私の右肩を掴んだ。
「キャ!」
ありきたりな悲鳴をあげる私。あまりの恐怖に、私は立ち止まるしかなかった。
「おい! 放せ!」
坂本君が再び怒鳴った。彼はピストルを使おうと、ポケットに手を入れたけど躊躇している。ここで発砲したら、病院中に銃声が鳴り響いちゃうもんね……。
「逃げるな!」
男は掴んだ手を離さない。怒って興奮しているのが、口調からよくわかる。
「やめろ!」
今度の怒鳴り声は坂本君じゃなくて、さっきの大柄な男性患者の物だった。彼は、太い両腕で、元チェーンソー男の両肩をガッチリと掴んでいる。
「放せ!」
私の右肩を掴んだままの男が、大柄患者に言った……。
「嫌だね。お前は病室に戻るんだ」
「うるせえな!」
男がようやく、右肩から手を放した。そして、その代わりといった感じで、今度は大柄患者の胸倉を掴んだ。
「こいつ!」
大柄男と元チェーンソー男が、掴み合いの喧嘩を繰り広げ始めた。同じ患者用の服装とはいえ、二人の体格差は全然違う。元チェーンソー男は、痩せてはいないけど、大柄患者と比べると、ほっそりして見える。この喧嘩の勝者は明らかだね。
……ところが、大柄患者の勝利は怪しくなる。元チェーンソー男が馬鹿力を発揮して、大柄患者の攻撃をうまく喰い止めているのだ。そしてついに、男は自分よりも大きな彼を勢いよく突き飛ばした。仰向けで倒れこむ大柄患者。彼は背中を強く打ったらしく、痛そうな表情をしている。
「いい加減にしろよ!」
男はそう怒鳴ると、近くの壁にある小窓から、なんと斧を取り出した……。薪割り用の斧じゃなくて、消防士が使う赤色の消防斧だ。火事の際にあの消防斧で、開かないドアを破壊したりするという。男はそれを両手で構え、仰向けの男の前に立つ……。