正常な世界にて
けれど、ここで多めに勝手に薬を受け取る行為が、一切何も問題が無いかと言うとね……。
「じゃあ一緒に行こうよ。二人のほうがたくさん運べるし、トイレに並んでいたことにすればいいからさ」
「……うん」
軽い調子の坂本君の言葉に、私は乗せられてしまった。いつもの事だけど、抗う気が起きなかった。私の心の一部が、略奪を許容しているみたいだね……。
私と坂本君は、階段をそのまま上がり、廊下をしばらく歩いた。迷いそうだけど、坂本君の道案内が成功してくれたおかげで、精神科のエリアに着くことができた。ここの奥のほうに、目的地である薬品保管室があるみたいだ。
……この辺りはなぜか静かだった。さっきまでいた1階の大喧騒が夢の中に思えちゃうぐらいだ。空気は張り詰め、重く異様な雰囲気で満ちている。堅い床に寝転がるケガ人も、疲れ切った看護婦の姿も見えない。この場にいるのは私と坂本君だけだった。
「こんな時だから出払っているんだろうね」
彼は、自分自身に言い聞かせるように言った。確かにそうかもしれないね。いや、そうだ。
廊下に誰もいないのをいい事に、彼は精神科エリアの奥へドンドン進んでいく。ところが、廊下の先に鍵付きの鉄格子があり、彼の前進は止まった。
「こんな時でも厳重なんだな」
鉄棒の扉をガチャガチャ鳴らした後、彼はそう呟く。
鉄格子の向こう側に続く廊下は、今いるココよりも、空気がさらに張り詰めているようだ。その理由は、廊下の左側に、精神病患者用の病室の扉が、整然と並んでいるのを見てわかった……。
薬品保管室へ行くには、そんな病室の前を通過していかなくちゃいけないのだ。いくつも並んでいる扉は、廊下の右側を占める無機質な壁と、それほど変わらないぐらい頑丈そうで、扉の小さな覗き穴はどれも閉め切られている。消火栓の赤いランプが不気味に赤く光っている。廊下に窓は無く、その小さな赤いランプの光が頼りある光に思えてくるほどだ。
そこを通過しないと、薬品保管室には行けそうにない。
静かに通ればいい話だけど、ホラー映画みたいに手が飛び出してきたら怖いね……。失礼な話だけど。
「警備室にも誰もいないね。もちろん、そのほうが好都合だけど」
坂本君はそう言うと、強化ガラス張りの警備室へ入っていく。『応援のため不在中』という走り書きのメモが、ドアに貼り付けてあり、無人だった。私も警備室へ入る。こんなところを社会見学する機会なんて無いからね。