正常な世界にて
【第24章】
病院内の過酷な混雑は、ちっとも収まりを見せない。むしろ、混み具合は、悪化の一途を辿っている。まるで花火大会の帰り道のようで、将棋倒しの悲劇が数回起きても、何もおかしくないね。
救急車のサイレンが、意外と頻繁に聞こえてこないのは、動ける救急車の数自体が、次第に減っているからみたいだ。主な原因は、大渋滞とガス欠だ。買い占めや略奪の対象となるのは、食料品や贅沢品だけじゃなくて、ガソリンもそうだった。渋滞に巻き込まれている最中もガソリンは消費するし、ガソリンが無くなればそれまでだ。しかも、道路上で動けなくなった救急車など、それこそ渋滞の原因になる……。
不幸中の幸いなのは、暴動が巻き起こっている場所でも、救急車を襲撃するヤツが出てこないことだ。その理由は、自分の命を助けてくれるかもしれないからだった。もし、自分が大ケガを負った際に救急車が無ければ、命が危ういからね……。
さらにそれは、救急車だけじゃなくて、病院や医者に対しても同様みたいだ。暴徒側は、たとえ敵である警察官が、搬送や治療をされていても、黙認しているようだ。ただ、それは警察側も同じ対応で、ケガした暴徒が治療されるのを、逮捕する事なく黙認していた。
どうやら、今の世間では、『医療関係はスルーする』という暗黙の了解ができているみたいだ。こんな無政府状態でも、一定の「決まり事」は生まれるんだね。ひょっとすると、他にも暗黙の了解が、自然とできあがるかもしれない。まあ、社会人のマナー的な、細かくて厳しい決まり事がまたできるのは嫌だけどね……。
「トイレに行ってくるよ」
止血中の坂本ママを待っている時、坂本君が言った。彼は母親の返事を待つこともなく、スタスタとトイレへ向かう。坂本ママの完全な止血が済むまで、あと50分ぐらいかかるそうだった。トイレも大混雑だろうから行列を見越して、今のうちにトイレへ向かうのは、何もおかしくないね。……ただなんとなく、せっかちな動きに見えた。
そう見えた事もあり、私もトイレへ向かうことにした。病院を出た後の渋滞で、尿意に苦しむのも嫌だからね。JKの私が、おっさんみたいに道路沿いで立ち小便をするなんてゴメンだ……。
大混雑のため、トイレがある方へ向かうことも簡単じゃなかった。迷子にはなりそうにないけど、坂本君を見失いそうで怖い。なので、多少無理やりにでも、人をかき分けながら進むしかなかった。
そして、トイレの近くまで来れた時、私は深いため息をつく。トイレは男女ともに、長い行列ができており、女性トイレの行列なんて、最後尾がどこかわからないぐらいだった……。開園前の遊園地のトイレよりも酷い状況だ。間に合わなくて漏らす人もいそうだね……。