正常な世界にて
意地悪なのかバカなのか、暴徒たちはしばしば、車の走行をジャマしてきた。中には空き缶を投げつけたり、車に飛び乗ろうとしてくるヤツもいる。
いちいち窓を開けて威嚇射撃していては、弾の無駄なので、坂本君は自制した。その代わりに、坂本ママはノーブレーキ走行をお見舞いする……。暴徒が弾き飛ばされる光景は、映画のゾンビを跳ねるシーンみたいだ。レクサスの安全性が高いおかげなのか、フロントガラスはヒビ一本走らない。弾き飛ばされた暴徒は、骨にヒビが入るどころじゃ済まなそうだけどね……。普段ならもちろん、轢き逃げで捕まる走り方だ。
まあ、ここ愛知県は、交通事故死者数ワースト一位の座を、十年以上連続で獲得している。なので、一人か二人事故死しようと、もはやたいした悲劇じゃないのが、正直なところ……。
数人弾き飛ばしたところで、触れぬ神に祟りなしだと理解してくれたらしく、暴徒たちは道を譲ってくれた。
「ラジオはどうかな?」
坂本君は、カーラジオを操作する。そういえば、ラジオ放送はまだ生きているのかな?
『現在、名古屋市内の数か所で暴動が発生しています。ご自宅にいらっしゃる方は、ドアや窓の鍵を閉め、待機をよろしくお願いします。なお、ご自宅での待機が難しい場合は、最寄りの警察署、または広域避難場所へ避難してください。なお、避難する際は、武器になるような物は持たずに、非武装の状態でお越しください。……失礼しました。最新情報によりますと、中川警察署と港警察署は、安全な場所ではなくなりました。これら以外の場所へ避難してください』
ラジオ放送はまだ生きていたようだ。名古屋市の緊急ラジオ放送らしい。
『栄、名古屋駅、金山、大須、熱田神宮、そして守山駐屯地は、特に危険な状態になっております。これらの場所にも近づかず、避難の際は迂回してください』
名古屋市内のあちこちで、暴動が起きているようだ。私の名東区は、まだ大丈夫だろうか? 自宅マンションが火事で燃えてたら、たまったもんじゃない!
「あらら、渋滞だわ」
車は、渋滞している車列の前で停まった。周囲に暴徒はいなかったものの、車列は全然進まない。よく見ると、車を放置して歩き出す人もいた。重そうな荷物を背負っているから、避難者だろうね。彼らは、歩道を進みだしたわけだけど、その歩道も人々による渋滞が発生していた。大震災による帰宅困難者の行列みたいだ。
「おいおい、どこもこんな感じ?」
交通情報を得るべく、カーラジオを再び操作する坂本君。市の緊急ラジオは、避難場所を長々と読み上げていた。