正常な世界にて
坂本ママがエンジンをかける。力強いエンジン音が唸り始めた。パニック系の映画だと、車のエンジンがなかなかかからないシーンがよくあるけど、実際はこんなものだね。
「おいおい! 行かせないよ!」
ところが、数人の暴徒たちが出入口の前に立ち塞がった……。ホントにジャマなヤツらだね。
「どけよ!!」
助手席の坂本君が、窓を開けて言った。こういう時に車の窓を開けるのは、危険極まりないからヒヤヒヤだ。
「やだね!! そのベンツを寄こせ!!」
「レクサスだっつってんだろ!」
ベンツとレクサスの区別もつかないようなバカなヤツに、車から降ろされるなんてゴメンだね。
パァァン!!
助手席の窓から左腕を出し、ピストルを発砲した坂本君。いきなりの発砲だったせいで、私の体はビクッと驚いた……。
威嚇射撃らしく、坂本君が撃った弾は、暴徒たちの間をすり抜け、通りを挟んだ向かい側にあるビルのどこかに当たったようだ。痛みを訴える悲鳴が聞こえたわけじゃないからね。
「うわぁ!!」
「本物を持ってる!!」
暴徒たちは、一斉に出入口から離散していく。命中しなくても銃の力ってすごいね! 素直にそう思った私。
「シートベルト!」
本来は真面目なのか、坂本ママが言った。私と坂本君は、思わず反射的にシートベルトを締めたのだった。
締めたと同時に、坂本ママが急発進させた。あまりの勢いに、私の背中はシートに押し付けられる。車の急発進に驚いたのは、私だけじゃなくて、逃走中の暴徒たちもだった。ヤツらは、バッタみたいに脇へ避ける。私たちのことを、完全に危ない連中だと見ている表情だった……。
車は大通りを出た。この辺の道路はどこも広い幅があるけど、暴動のせいで今は狭く感じる。暴徒たちや歩行者天国ごっこをしているだけじゃなく、無価値な略奪品やゴミ、壊れた車が路上に散乱しているからだ。当然、坂本ママは運転しづらそうだった。
どうやら、警察の実弾使用と暴徒の爆弾使用の両方が、暴力性をパワーアップさせたようだ。身ぐるみを剥がされた暴徒(たぶん死んでる)が転がっているかと思えば、信号機で逆さ吊りにされた警察官(こっちもたぶん死んでる)も見かけることもあった……。アスファルトを流れたり、滴り落ちている血が、車のあちこちを汚していく。この車が汚れが目立たない黒色であることは、坂本家に取っては救いだろうね。