正常な世界にて
「アイツめ」
突然、高山さんの後ろから陰気くさい小声が聞こえた……。思わず私は、彼女の脇越しに声のほうを伺う。
声の主は、一つ後ろの席の木橋だった。彼の視線の先では、坂本君が楽しげに過ごしている。
木橋はとっても陰気臭さを感じさせる男子で、引きこもり一歩手前のオタクという表現がよく似合う。太い黒縁メガネをかけ、顔は地味なブサイク面……。そして、癖だらけの髪とヒゲの剃り残しが、薄らと気持ち悪くつながっていた。
「……まともな、人間、人間じゃない癖に……」
ブツブツ呟いている。私の視線にも気づいていないようだ。
女たらしの坂本君への呟きだけど、「まとも」という言葉にギクリとさせられた私……。
「ねえ、木橋君? 何の独り言を喋っているの?」
高山さんが木橋に尋ねた。彼女は変わらぬ笑顔だけど、底知れぬ恐怖心が今はある。
「……な、なんでもない!」
木橋は美少女の彼女から突然話しかけられ、無様に慌てふためく。そして顔を伏せ、スマホをいじり始める。
「ところで森村さん、薬は飲んでみた?」
「あっ!」
ADHDの症状軽減のため、『ストラテラ』という薬を出されていた。にも関わらず、カバンに今も入れたまま……。
「飲み続けないと効果が出ない薬だから、気をつけようね」
「……うん」
忘れずに毎日飲み続けられる自信は正直ない。
「服用は朝食後と夕食後だと思うけど、たぶん昼食後でも死にはしないから、そのとき忘れずに飲みなよ?」
「うん、そうする」
飲み忘れないよう工夫しなくちゃいけない。薬で少しでも楽になれるのなら、忘れず飲まなきゃだ。
「今思いついたんだけど、今日のお昼はもう決まってる? 帰りにどこかで食べない?」
土曜日の今日は午前の授業だけ。いつもはそのまま帰宅して昼食だけど、母へのキャンセルはまだ間に合うはず。
「念のため確認してみるけど、いいよ!」
クラスメートと外食なんて久々だし、私は快諾した。どんな店でどんな物を食べるかで、脳内は早くも一杯にお祭りに!
「…………」
ここでふと視線をじらすと、木橋が私たちのほうをじっと見ているのに気づけた……。それもまじまじと、考えに耽る様子まで見せて。
うわっ、キモイ! 彼にも何らかの障害が入ってるんじゃないか? 同じADHDでなければいいと、つい思っちゃった私。