正常な世界にて
「近くの駐車場に、私の車があるの。森村ちゃんも乗っていきなさい」
坂本ママがそう言ってくれた。確かに、ここから徒歩で帰るなんてベリーハードだからね。ここは甘えることにしよう。
「いつもの場所だね? じゃあ、ボクが先導するよ」
坂本君はそう言うと、路地裏の北側をスタスタと歩いていく。まったく、頼りになる親子だね。私も精一杯頑張らないと……。
そして、路地裏から通りに出た私たち。ここは大通りから入る横道だけど、数人の暴徒たちがいた。ヤツらは、盗んできた缶ビールや惣菜で酒盛り中だった。カクテルを作るつもりなのか、壊した自動販売機からジュースを吟味しているヤツもいた。野蛮なドリンクバーだね……。
「おい、遅れずついてこいよ」
私は観察モードになっていたらしく、坂本君からそう言われてしまった。頑張るつもりでいたのに、さっそくこれだ……。自分が嫌になるね。
先導する坂本君の足取りは、忍び足だけど速かった。オリンピックの競歩選手とまではいかないけど、私の足取りだと軽く走る感じじゃないとついていけない……。最後尾の坂本ママに対して悪い気がした。ハイヒールなのに、彼女の足取りも速いほうだ。
「無理して、あの子に合わせなくていいのよ」
坂本ママがそっと言ってくれた。優しい言葉に涙が出そうになる。彼女の言葉が、坂本君の耳にも届いたのか、彼は足取りを少しだけ遅くしてくれた。ホントに少しだけど嬉しい。
坂本ママの車がある駐車場に着いた。都会によくある、タワー型駐車場だ。車の出入口付近にいる係員に、車のレーンを呼び出してもらう仕組みだけど、その係員がいなかった……。暴徒に襲われたか、安い給料が嫌で暴徒に転職したかの
どっちかだろうね。電話回線はダメになったままなので、代わりの係員を呼ぶこともできない。
「困ったわね……」
「じゃあ、ボクが操作するよ。駐車番号は何番?」
躊躇することなく、坂本君が言った。高校の授業で、タワー型駐車場の操作方法なんて習った覚えは無いんだけど……。
「大丈夫? この前みたいに、誰かの車をプレスするのは勘弁してね? 今度は保険が効かないだろうし」
うわぁ、それは心配だね……。
出入口近くの小さな管理室で、坂本君はさっそく機械を操作する。ヨレヨレな説明書が壁に引っかけてあるのが見えるけど、彼はそれをスルーしているっぽい……。のんびり読んでる暇が無いのはわかるけどね。
ゴウンゴウンと、うるさい機械音が鳴り響き始めた。駐車場のタワー内で、車のレーンが動いている。坂本ママの車がどの辺りに停まっていたのかは、ここからではさっぱりわからない。なので、乗れるまでの時間もわからなかった。
ゾンビ映画ではよくある展開だけど、こういう騒音が鳴ると、ゾンビ集団が襲ってくるもの。音に引き寄せられてね……。
今の状況もそれに近く、数人の暴徒が近づいてくる……。ゆっくり歩いてきたので、ホントにゾンビ集団みたい。
「ねぇ、どっかに遊びに行くの?」
「今は歩行者天国だから、車じゃ通れないよ?」
軽口を言ってくる暴徒たち。そこにいたら車が出れないから、ジャマでしかない。
「避難しようと思ってね。なんとか走ってみせるわ」
こういう人間の相手に慣れているらしく、坂本ママは笑顔で返事してみせた。さすが、クラブのママさんだね。
「避難所行ったってムダだよ。役所も警察もクソだからさ」
「そうそう。逃げ続けるだけで餓死するだけさ。俺たちみたいに暴れようよ」
略奪や暴動をしたって、ひとまずの生活や快楽が得られるだけじゃない? そう言いたくなったけど、頑張って堪えた私は偉いよね?
その時、ビィーという古臭い電子音とともに、駐車場の出入口が開く。中のレーンには、レクサスの黒い車が停まっていた。レクサスの中では安いハッチバックの車だけど、高級感は十分感じられる。
「おおっ、いい車じゃん! ベンツ?」
「バカ! レクサスだ、レクサス!」
こんな暴徒たちの前で披露してしまうのは、やっぱりまずかった。奈良公園のシカたちの目の前で、シカ煎餅を買うようなものだから……。
「早く乗れ!」
マズイ空気を察した坂本君が、管理室から飛び出し言った。出入口は開けたままにするようだ。マナー違反だけど仕方ないね。
「この辺の高級車は、みんな壊されちゃったからさ。譲ってくれない?」
暴徒たちが面倒なことを言い始めたので、私たちはレーンの車へ急ぐ。壊されちゃったじゃなくて、壊しちゃったのにさ。
「おい、シカトかよ?」
坂本ママが、リモコンでドアロック解除すると、素早く車に乗り込んだ。急いでいたので、危うくドアが壁に当たりそうになった。怖い怖い……。