正常な世界にて
縦穴のドアから出た先は、ボイラー室兼ゴミ捨て場だった。機械音がうるさく鳴り、生ゴミの臭いが酷い。部屋のドアの向こうからは、表の喧騒が聞こえてくる。
「ドアの先は路地裏なんだけど、人がすれ違えるぐらいの狭い道だから、まだここは安全みたいね。あっ、燃えるゴミにビンが入ってる」
坂本ママが言った。話しながらも、ゴミの分別ミスが気になったようだ。私も時々間違うけど、話が脱線してしまうから黙っとこ。ここがいつまで安全かわからないし。
「森村には言ってなかったけど、ボクはコレを使えるんだよ?」
坂本君はそう言うと、自慢げに長ズボンの中から、ピストルを取り出した……。ズボンのウェスト部分に、しっかり挟みこんでいたらしい。
「ええっ! なんで!?」
私はつい大きめの声を出してしまった。坂本ママが、口の前で人差し指を立てる。恥ずかしいね……。
「この銃は、小池刑事から貸してもらったんだよ。これが取引の1つさ。まあ、母さんの店で保護する件は、もう意味がなくなった気はするけどね」
どうやら、あの小池からピストルを貸してもらったようだ。『マカロフ』という名前のロシア製ピストルは、警察の押収品らしい。リセット前なら、小池は懲戒免職だろうね……。
「気をつけて撃ちなさいよ」
「大丈夫、大丈夫。命中させなくても、これで威嚇すれば十分だよ」
いやいや、坂本ママが言ったのは、流れ弾で無関係な人を撃たないようにということのはずだ……。私が預かろうかな? しかし、銃の使い方なんて、全然知らないので、いざという時に困る。
不安は消えず、対策も生まれなかったけど、私たちは脱出を優先することにした。最悪の場合を考えるとすれば、このビルが暴徒や強盗に包囲され、火を点けられるという状況だ。燻製や黒焦げの死体にはなりたくないね……。
外へのドアを開けると、鼻につく空気が、生ゴミからコゲの匂いに変わった。栄駅から出た時よりも強烈に感じる。火災の数が増えただけじゃなくて、さっきの爆発も関係しているだろうね。日没後の夜空の下だけど、電力がまだ生きているおかげで、周囲の状況は見渡せる。
私たちが出た先は、ビルとビルの間にある路地裏だった。坂本ママが言っていたように、人がすれ違えるほどの幅しかない。そのせいか、暴徒も一般人もいなかった。
ただ、路地裏と繋がる通りからは、暴動の喧騒がしっかり聞こえてくる。爆発を起こしたのも彼らみたいだし、暴動を一時停止する気はサラサラ無いよう……。