正常な世界にて
【第23章】
暗い縦穴の中を、私、坂本ママ、坂本君の順番でハシゴを降りている。私は、沸き立つ勢いに身を任せるような具合でハシゴを降りているんだけど、坂本ママや坂本君は慣れたような具合で降りている。手荷物があるのに器用だね。
ふと気がついたけど、さっきまでいた店が、このビルの何階にあるのかを、私は聞いていなかった。明かりは上の隠し扉から差し込む光だけで、下は全然見えない。だから、ここから底までの高さはわからなかった。今のところ、ハシゴを難なく降りられてるけど、もし足を踏み外してしまったときの事を考えちゃうと……。
上の坂本ママや坂本君に高さを尋ねられるけど、その高さを聞いた途端に、怖さで足がストップしてしまうかもしれない。なにしろ、私には高所恐怖症もあるのだ……。なので、高さが売りのジェットコースターになんて乗れやしない。
私たちがハシゴを降りる中、上の隠し扉から、銃声や大声が立て続けから飛び出てくる。映画みたいな白熱した戦闘が繰り広げられているのは確かだ。もちろん、上に戻って観戦したくはないけど。
「ここから出たら、母さんの車に乗っていけよ。この辺りから早く離れるんだ」
ハシゴを降りながら、坂本君が言った。ここは遠慮してる場合じゃないから、そうさせてもらおう。
「この辺りや名駅とかは、今すごくヤバい状況らしい。名古屋中に波及する前に、家に帰るんだ」
坂本君が話を続けた。警察無線からの情報らしい。店に置いてきたとはいえ、新鮮な情報は大切だ。
「名東区らへんはまだ、治安が酷くなってないそうだから、きっと大丈夫だよ。家に帰ったら、ドアと窓を全部しっかり締めろよ?」
「わかった、ありがと」
名東区はろくな娯楽が無いベッドタウンだけど、元々の治安の良さが救いになったね。
状況と今後を考えているうちに、私の足はハシゴから床に着いた。どうやら、1階まで降りられたようだね。ハシゴが架かる壁の反対側に、冷たい手触りなドアがあった。暗い中、そのドアの存在に気づけたのは、手探りによってだ。ドアノブも見つけた。
「まだ外じゃないから、開けちゃって大丈夫よ」
頭上で坂本ママが言った。彼女もスカート姿だけど、私よりも器用にハシゴを降りている。普段からしっかり運動してそうだね。
坂本ママから許可を貰ったので、私はドアを開けた。向こう側からの明かりが、こちらに差し込む。短時間とはいえ、スマホの明かりが頼りな暗闇にいたから、明かりの刺激に目が眩んだ。ううっ、眩しい。
ドアをくぐる前に、縦穴を見上げる。暗い縦穴の上から、銃声や大声はもう聞こえてこず、とても静かだ。きっと膠着状態だろうね。私は、小池刑事の無事を祈った。もしかしたら、貴重な話をまた聴ける機会があるかもしれないね。彼の活躍に期待しよう。