正常な世界にて
「あの皆さん、逃げ道ならありますよ?」
坂本ママが言った。強盗が来そうなこんな状況でも、彼女の口調は、明るさを失っていない。間違いなく、坂本君の明るい性格は、彼女から受け継いでるんだろうね。
「どこからです? このビルにも多分あると思いますが、非常階段は見張りがいてもおかしくない状況ですよ?」
小池が懐疑的な表情で言った。
「……いえ、階段ではありませんよ。実は、キッチンの裏手に秘密のハシゴがありますの。これは内緒でお願いしますね?」
「元々は、アンタたち警察が来たら逃げられるように造ったハシゴらしいんだけどさ。悪いけど、これ以上はノーコメントだよ。黙秘権を使うからね」
うーん、不穏だけどスリルな話だね。
「……なるほどな。わかった、何も聞かないよ。今すぐそのハシゴから逃げろ。そろそろ来る頃だぞ?」
小池はそう言うと、近くのテーブルを横倒しにする。なるほど、即席のバリケードだね。高級そうなテーブルだから、その分頑丈そうだ。
「私はここに留まる。もし生き残れたら、ここかどこかで会えるさ」
映画でよくあるセリフだね。死亡フラグがビンビンに立ってるけど、彼の覚悟は伝わってくる。
「飲み過ぎないでよ? 後で請求書を送ることだって、できるかもしれないからね?」
「わかったわかった。それより、さっさと行け。お母さんとその子を、しっかり守るんだぞ?」
小池は坂本君にそう言い返すと、横倒しのテーブルの後ろにしゃがむ。
「おいコラ!! まだ店ん中にいるんだろ!! 開けろオイ!!」
暴力性一杯の大声と共に、ドアがガンガンと叩かれる。ドラマに登場する借金取りみたいだ。模範例といってもいいぐらいだね。
「母さん、早く早く」
「はいはい。こっちですよ」
ハンドバッグを持った坂本ママに先導され、私と坂本君は、キッチンに入る。キッチンじゃなくて厨房と本来は言うんだろうけど、ここのキッチンは、家庭的な雰囲気で造られていた。この方が、気持ち的に働きやすいんだろうね。
「この棚の後ろの壁が隠し扉でね」
坂本ママがそう言い終わった直後、坂本君がその棚を乱暴に、脇へ倒した。いきなり危ないね……。
「まあ危ない! 乱暴ね!」
「母さん、急いでるんだからさ!」
これも反抗期だね。私も人の事を言えないけど……。