正常な世界にて
「やっぱり、もう一杯もらおう」
小池は坂本ママに、ビールのおかわりを頼んだ。坂本ママが微笑みながら、ジョッキにビールを注ぎ込む。
今のところ、彼からこれ以上聞きたい件は無い。警察は、自分たちの事で精一杯だとわかったので、自分たちでなんとかしなきゃいけない。
しかし、こんな状況だと、とても帰宅は無理だね。今の時刻は十八時をとっくに過ぎ、もうすぐ日没だった。停電にはなってないけど、あの危険な地下鉄に戻るのはゴメンだ……。まあ、電車自体がもう走ってないだろうけど。あと、ここから私の家まで、何駅分もあるから、夜道の徒歩は疲れるし危ない。
両親が心配しているかもしれないけど、今夜はここで一泊することになりそうだね。幸い、このフカフカのソファだと、すんなり寝れそうだ。
「ちょっと! 入ってこないでよ!」
ドアの外から、そんな大声が聞こえてきた……。ドアの外からは今までも、暴動の喧騒が聞こえていたけど、これはハッキリ聞き取れるぐらい、大きなものだった。ビルの外じゃなくて、ビルの中、それもこのフロアで発せられた声としか思えない……。
「静かにしろ」
小池はそう言った。彼の顔つきは、いかにもベテラン刑事という具合の真剣さが浮かんでいた。今までやけ酒を飲んでたけど、まだ頼りになるらしい。
私たちは黙って、耳をすませる。小池はカウンターから離れると、ピストルを構えつつ、ドアに近寄った。そして、ドアを恐る恐る開け、外の様子を注意深く伺う。目が見えない状態で来たからわからなかったけど、ドアの外は窓の無い廊下になっていた。狭めの廊下だから、ここは雑居ビルなんだと思う。
廊下の様子を伺った小池は、そっとドアを閉めた。
「隣の店に、強盗が入ったみたいだ。たぶん、一人じゃなくて数人いるぞ」
小池は言った。この店も危なそうだね……。高級家具とか金目になりそうな物はたくさんある。
「それなら、その銃でまた脅かしてやればいいじゃん?」
坂本君が、小池のピストルを指さしながら言った。口調は軽いけど、確かにその通りだ。警察官による威嚇射撃となれば、いくら強盗グループでも、この店はパスしてくれるだろうね。
「いや、それはダメだ。このフロアにいるのは数人でも、ビルの外にいる仲間が大勢いたら、袋の鼠になっちまう。それに、銃も弾も、たくさん持ってるわけじゃないからな」
確かに、いくら刑事とはいえ、彼一人で大勢を相手するのは、現実的に無理があるね……。