正常な世界にて
「私は近くのカフェに駆けこみ、警察無線で応援を要請したさ。だが、どの署も手一杯で、それどころじゃなかった。略奪や暴力が起きまくっていたんだ。非番の警察官まで駆り出すぐらいだった」
そこで私は、また店の出入口を見る。暴動による騒乱は、全然収まりを見せていないようだ。警察無線に過集中の坂本君は、不謹慎なニヤケ顔を晒している……。きっと、状況は悪化し続けているんだろうね。
「事件は、私がいたカフェでも起きた。まず、高いコーヒー豆を手掴みで、ビニール袋に詰め始めたヤツが現れた。もちろん、詰め放題買いをやってるわけじゃない。その直後に次は強盗だ。こっちは慣れているのか、レジの店員が紙幣を手渡していた。ところが、強盗が店を後にしようとしたところに、二番目の強盗が現れやがった。さすがにパニクったのか、店員が『今のお客様で売り切れです』なんて言ったんだ……。そしたら、一番目と二番目の強盗同士が大喧嘩さ。私は思わず吹き出したよ」
うん、それはシュールだったろうね。アクション映画じゃなくて、コメディー映画だ。
「それ以上吹き出すのをこらえて、私は強盗二人に近づき、動くなと言ったよ。ところがその二人は、私をチラ見しただけで、そのまま喧嘩を続けた。この警察手帳を見せてもな……」
初老刑事はそう言うと、慣れた手つきで、警察手帳を私に見せた。すっかり色あせた警察手帳の中には、「小池」という名前と彼の顔写真が載っている。
「……私は気がついたよ。その強盗二人と、コーヒー豆の掴み取りをやってるヤツは、この日本が無政府状態になってる現実を、もう受け取める事ができた連中だったんだとな。私はそんな現実に対して、受け止めるじゃなくて打ちのめされたよ……」
そこまで話すと、初老刑事こと小池は、上着のジャケットの中から、真っ黒なピストルを抜いた。リバルバー式の古臭いピストルだ。それを見た途端、私は反射的に身構える。もしや、自殺するつもりでいるのかな? 目の前で拳銃自殺されるのは、さすがに嫌だな。警察署に帰ってからにしてほしいところだ。
「だが、その場でずっと打ちのめされていたわけじゃない。もしそうなら、私はここにはいないからな。……私も現実を受け止めた。しっかりとな」
刑事の小池はそう言うと、リバルバーピストルの円形をした弾倉を、カチャリと横に動かした。中には銃弾がしっかりこめられている。それから、またカチャリと元に戻した。
「私は、強盗が奪い合う紙幣のド真ん中に、一発撃ってやったよ。……そんな発砲をしたのは、もちろんその時が初めてだ。リセット前なら、間違いなく始末書を書かされてたな」
小池は言った。彼は今日、ついに吹っ切れたんだろうね。