正常な世界にて
「ううっ、苦しい……」
「腹も痛いし、目も痛いし、喉も痛い!」
「どっちに行けばいい!?」
陰キャラ三人組も、もろに催涙弾を喰らったみたい。嬉しいわけじゃないけど、少し安心できた。私を誘拐する余裕は無い。
「おい、森村!!」
視界が真っ暗闇の中、坂本君の声が脳に響き渡る。すぐ近くにいるんだ!
彼を探し当てようと、両手を前にそっと差し出す。次の瞬間、私の左手が勢いよく前へ引っ張られる。それが坂本君の手であることは、すぐに察知できた。あの三人組の手なら、油染みた気持ち悪い感触がするはずだから。
「転ばずについてきてよ!」
坂本君は言った。少し遅い台詞だけど、今は許そう。
よほど危険な状況なのか、坂本君は手を強く引っ張り続ける。私は転ばないよう、彼の早い足取りに精一杯合わせた。質問する余裕など無い。覚えていたら、後でまとめて聞こう。
私はそれから何分か、坂本君に手を引っ張られ続けていた。彼はずっと走っていたわけじゃなくて、急に立ち止まったり走り出したり。目の痛みがまだ残っていて、目を開けられない。
なので、状況がわからず、急ブレーキや急発進の度に転びかける。空き缶や段差にもつまづいた。今にも足をくじき、額を打ちつけそう……。
「おいおい! どこ行くんだ!?」
耳は聞こえるので、危ない状況なのは把握できる。しかし、出くわした相手がどんなヤツなのかや、凶器を持っているかすら、私にはわからない。
そして、全速力で走らされ、階段を駆け上がらされた後、どこかの部屋へ引き込まれた。これだとまるで誘拐か強制連行だね……。
「あらあら、ずいぶん大胆ね?」
「森村だよ。会うのは初めてだったっけ?」
女性と坂本君の声がした。
その女性の声は一度聞いたことがある。以前、坂本君のスマホに繋がらなかったときに、家の電話へかけた。その電話に出た人が、坂本君の母親だった。明るくてきれいな口調だったのを覚えている。すると、私は彼女の店に連れてこられてきたんだろう。
「森村が絡まれてた。外はドンドン酷くなってるよ」
坂本君はそう言うと、私をソファに座らせた。フカフカとした座り心地の良いソファだ。我が家の年季が入ったソファとは、明らかに違うね。
「店はもう閉めてるから、ここは安全だよ。危ない奴はいない」
彼の言葉を聞き、私はびくついた緊張感をいくらか和らげることができた。