正常な世界にて
床までファスナーが下げられ、穴はビニールシートに人がくぐり抜けられるほどの大きさに。……穴からは何も聞こえてこず、覗く顔もない。
「ここで待つ?」
「ううん」
即答した私。恐怖心や罪悪感はあるけど、持ち前の好奇心には敵わなかったわけだ。ここで彼を待ち、探索の成果を聞くだけでもいいけど、やっぱり自分自身で知りたい。
それに、もし彼が穴の向こうへ行ったまま、ちっとも戻ってこなかった場合の事もある。そんな事態に陥れば、たちまち私は、恐怖心に襲われ、階段へたどり着けない有り様になるだろう……。縁起悪い話だけど、考えないわけにはいかない。
私と坂本君は、穴をくぐり抜けた。その際、ビニールシート表面から、強い薬品臭が鼻についた。温室なんかじゃなくて、何かの感染症対策?
細菌、患者、隔離。
おぞましい単語を思い浮かべていく私。とんでもない探検を、私たちはまたしてるのかも。……ああ、きっとそうだ。
「うっ!」
思案を妨げるかの如く、鼻全体で悪臭を感じ取った……。今すぐ吐いちゃうほどの異臭ではないけど、ここに長居はしたくないね。鼻を強くつまむ私。これならまだ大丈夫だ。
とはいえ、今まで嗅いだことが無いタイプの悪臭ではなかった。高校生になってから、何度も嗅ぐハメになったタイプの悪臭……。
それはつまり、血の臭いというわけだ……。何度嗅いでも慣れない匂いだね。しかも今回は、「濃縮」と「発酵」の過程を経た血の匂いだ……。食べたことはないけど、ブラックソーセージというのはこういう匂いなんだろうか?
この部屋に、腐った血肉が放置されている状態なのは確実。それは豚肉でも鶏肉でもなく、人間の肉。もう鼻が、いや、脳がすっかり覚えこんでしまっている。ここが紛争地帯ならまだしも、普通の女子高生はこんなの覚えない……。覚える必要がない。
「こりゃあ酷いなぁ。ボクの母さんでも、ここまで食べ物を腐らせないよ……」
さすがに坂本君も、鼻をつまみながら、嫌そうな表情を見せている。ただ以前、血の匂いに慣れてしまったと軽口を叩いていたから、彼も脳が覚えこんでいるだろうね。
……匂いを放つ根源は「二人分」で、部屋のキングサイズベッドに寝転がっていた。広いベッドで寝転がるそれらは、ビニール袋を大きくした感じの物に包まれている状態だ。
「死体袋だね。映画で何度か観たことある。だけど、透明なやつは初めて見たよ」
坂本君が言った。