正常な世界にて
「んわぁーーー!!」
怒り狂ったドラゴン野郎は、大声を張り上げながら走り出す。もちろん、彼が一目散に目指しているのは、あのジジイのほうへだ。ドラゴン野郎は、そのニックネームとは裏腹に、痩せ気味な外見をしている。だけど、無我夢中に突撃する彼からは、威圧感があった。
ところが、狭い電車内を乱暴に突っ走るものだから、吊り革に掴まっていた人たちを、次々に弾き飛ばしていく……。私も危うく、ぶつかりそうになったぐらいだ。
間一髪で避けた私が体勢を整えたとき、ドラゴン野郎はジジイのすぐ目の前に到達していた。ジジイは耳が遠いらしく、ドラゴン野郎の存在自体に、そのときやっと気づいたようだ。仁王立ちするドラゴン野郎を見上げるジジイ。
「うおっ……」
年代物の図々しさを誇る彼も、さすがに狼狽えているようだ。腰を抜かしたのか、彼は座ったままでいる。ドラゴン野郎にやられるのは不可避だね。
すると、隣りに座っていた妊婦は、巻き添えを懸念したらしく、男の子を連れて立ち去ってしまった。これでは、ジジイをどかしても無意味に終わりそうじゃないか……。自分たちがまた座れそうだけど、目的地の駅までもう少しだった。
「んんっ!」
ドラゴン野郎が、両腕を外回りに振るいまくる。ボカボカと殴られるジジイは「イタッイタッイタッ」と声を上げた。相手は一応老人なんだけど、ドラゴン野郎は容赦なく、その連続パンチを続ける。
彼の両腕は、細く痩せているが、パンチのスピードは異常に速かった。相手がジジイとはいえ、地味に痛いパンチの連続らしい……。休む間もなく痛みをひたすら喰らわされるのは、精神的にもキツイはずだ。現に、ジジイの痛みを訴える声が、次第に弱くなっていく……。
「おいやめろ!」
正義感が無駄に強いらしい若い男性が、連続パンチを単純作業のように続けるドラゴン野郎を止めにきた。男性は、彼の両手をなんとか掴んでみせた。もっと早く登場して、ジジイをどかしてほしかったものだね。
「んっんっんっ!」
ドラゴン野郎は、男性の制止が気に喰わない調子の声をあげる。そして、柔道の背負い投げっぽい動作で、その男性を勢いよく投げ飛ばす……。男性は、隣りの車両まで飛距離を伸ばし、汚い床に顔面から着地してみせた。気絶したのか打ち所が悪かったのか、男性はそこでうつ伏せになったまま、声を上げずに動かない。あれぐらいでは死なないはずだ、そう願う私……。