正常な世界にて
――クリスマスパーティの日を迎えた私。今は坂本君と、行きの地下鉄の車内にいる。よくあることだけど、今回も優先席に座っている私たち。クリスマスシーズンだから、他の席はすべて埋まっているから仕方ない。車両の反対側では、ドラゴンズの野球帽を被った知的障害の男性が、クリスマスソングらしき短いメロディを、リピートで歌い続けていた。
「トラックが栄の歩道を暴走して、意識不明の奴らがたくさん出てるってさ。ラシックらへんだから、二ケタは余裕で死んでそうだね」
スマホでネットサーフィン中の坂本君が、軽い口振りでつぶやいた。
「陰キャラっぽい男が、配送中のトラックを盗んだらしい。まあ、この時期は忙しいから、キー差しっぱなしだったろうな」
ある意味では、クリスマスらしい出来事だね……。
「似たような事件が、あちこちで起きるだろうしね。ただそのトラックには、クリスマスプレゼントがたくさん積まれていたらしくて、散らばったそれら目当ての奴らで、今大変みたいだよ?」
「ふ〜ん、行きたくてもガマンしてね?」
「わかってる、わかってるって!」
私が止めなければ、彼もプレゼント拾いできる現場へ直行していただろうね。まあ正直に言うと、私もつい行きたくなった身だ。
「コホッ! コホッ!」
明らかにわざとらしい咳払いが、すぐ近くから聞こえた……。
視線を横から前に向けると、中年女性と小学校低学年ぐらい男の子が、目の前に立っていた。スマホや坂本君の相手で夢中で、まったく気づかなかった。その女性は、バッグからマタニティマークをぶら下げ、お腹がボテンと膨らんでいるので、妊婦だとすぐわかった。そして、横にいる男の子は、この女性の息子さんだろうね。
優先席は3人掛けで、私と坂本君の他には、昼寝中のおばあさんが座っている。普通なら、私と坂本君が席を譲らなくちゃいけない。学校で、しつこく何度も聞かされるマナーの1つだ。
だけど、私たちは不幸なことに「普通」の人間ではないのだ。いわゆる「訳あり」の人間というやつだね……。
「悪いんだけど、ボクたち手帳持ちなんですー」
状況を察した坂本君が言った。こういう状況には、すっかり慣れた口ぶりだ。パッと見健常者だし、見方によっては、悪ぶりたい高校生が優先席に座り込んでいるようにしか見えるはずだからね。
「……え? ほんとにそうなの?」
疑いまくりの表情で、妊婦はそう言った。なにしろ、坂本君には動く手足が2本ずつ生えているし、妊婦を見て話すこともできたからね……。