正常な世界にて
「…………」
「…………」
精神障害者手帳の掲揚を、私たちはしばらく続けていた。腕時計をチラ見して、5分ちょっと経っていることを把握する。
これ以上続けても、予想の当たり外れには無関係だろう。それに、帰宅時間が遅くなったらなったで、面倒なことになる。
「坂本君、駅までゆっくり歩いて帰るよ?」
「はぁ?」
間抜けな声を上げる坂本君を尻目に、ワンボックスカーの物陰から出る私。見通しのよい道路を堂々と歩き、最寄り駅へ向かう。普段通りの歩き方をなんとか意識した。ぎこちなさはあるけど、今はこの歩き方が安全だ。
「あれ? 何もしてこないな?」
坂本君の言う通りだった。余裕で狙い撃ちできるはずのスナイパーが何もしてこないのだ。さっきまでのしつこい牽制射撃からして、諦めてくれた可能性は低い。
どうやら、私の予想が見事的中したようだね。あのスナイパーは、私たちがターゲットでないことを把握し、攻撃をただちに止めてくれたのだ。そうとしか考えられない。
少しずつだけど確実に、あの現場から遠ざかることができている。坂本君は安全を把握すると、私の後ろについて歩いている。私の歩き方を意識して、ゆっくりとした足取りだ。せっかちな彼にとっては、歩きづらいだろうね。
「おい、歩きながらでもいいから、説明してくれよ?」
口や脳はせっかちなままらしい。
「私たちを狙っている人は最初、私たちが敵だと思ったんだよ。あの刑事たちの仲間だとね。もしくは、目撃者を出したくないか」
「それならなんで、手帳を見せた途端、撃ってこなくなったんだよ? かわいそうだと思ってくれたのか?」
彼は、自分を哀れむような口調で言った。
「ビルで襲ってきた女の子もだけど、狙い撃ちしてきた人は、高山さんがいる組織の人間だよきっと。だから、精神障害者手帳を持つ私たちを殺すのを止めたということ」
「……でもそれって、ただの予想だよな? 裏切り者扱いされて、そのまま殺されることだってありえたろ?」
彼の口調には、震えが少し混じっている。悪いけど、予想の中でも希望的な予想だといえるね……。でも、うまくいっているのだから、これでいいじゃないか?