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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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ファースト・ノート 1~3

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3.クロス

 

 朝の日差しは初音の素肌を容赦なく焦がしてゆく。出勤前とはいえ日焼け止めを塗ってこなかったのは失敗だったかなと考えながら、木陰の下を小走りに進む。

 四十年以上前に建てられたという公団住宅の敷地内では、柳の木が深く生い茂っている。子供の頃は薄暗くお化け屋敷のようで怖かったが、今は風になびく柳の枝が心を落ち着かせてくれる。

 湊人がやってきたことは母には言えないでいた。十六歳になった湊人は父の若い頃に驚くほどよく似ていて、その存在を知らせることすらはばかられた。
 他人の要の世話になるならせめて食事だけでもと思い、初音はたびたび高村家を出入りするようになった。

 バスを待つ間、持ってきた紙袋をかかげた。湊人が要のもとで寝泊まりするようになってから、弁当を届けることが日課になっている。

 高村家の庭では雑草が勢いを増し、小さな家屋が飲みこまれそうな有様だった。腰高までのびたエノコロ草をかきわけながら石畳みをふんでいく。

 引き戸に手をかけた。いつものように鍵がかかっていない。要には好きに出入りしていいと言われているが、勝手に入るにはためらいがあった。

「おはよーう、起きてるー?」

 引き戸を少し開けて声を上げると、ちょうど湊人が階段から降りてくるところだった。白いカッターシャツにダークグリーンのネクタイをしめている。髪は変わらず茶髪だが、朝日を浴びる制服姿の湊人は、どこにでもいる健康的な高校生の姿をしていた。

 玄関で靴を脱ごうとしたまま、三和土を凝視した。
 ターコイズブルーの石を編みこんだ女物のサンダルが転がっている。
 ナイキのスニーカーに足をいれながら湊人が言った。

「まだ要の部屋にいると思うけど」

 湧き上がってくる黒々とした感情をこらえながら、湊人の腕を引いて玄関の外に出た。 
 深呼吸をしてから、湊人に紙袋をさしだす。

「二つ入ってるけど。要の分じゃないの?」

 湊人が家の中に戻ろうとしたので、肩をつかんで引きとめた。

「あんなだらしない男にやることないわ」
「じゃあさ、いつも一緒に学食で食べるやつがいるんだけど、そいつにあげてもいい?」
「かまわないけど……」

 そう言うと、湊人はうれしそうに紙袋の中をのぞいた。

「初音さんは、要のどこが好きで付き合ってんの?」
「どこがって……とういか付き合ってません」
「だから平気で女を連れこむのか」

 平然とそう言いながら、初音の前を歩き出した。教科書が入っているのか疑わしいほど薄っぺらなデイパックを背負っている。

 要のことなど、メジャーデビューを目指している駆け出しのミュージシャンとしか認識していない。家の中は尋常じゃないくらい散らかっていて、父親はめったに帰らない。時間にルーズで服装には無頓着だし、女にもだらしない。

 なのにどうして彼の歌声は心をひきつけてやまないのだろう。

 玄関に転がるサンダルには見覚えがあった。量販店では見かけることのない凝ったデザインのそれが、自分の見知った人物の持ち物でないことを祈るばかりだった。



 初音が勤めて二年目になる旅行代理店は、繁盛期をむかえていた。
 駅前の交差点の角地に立つオフィスビルの一階に、息をつく暇もなく客が流れてくる。

 夏休みを目前にひかえ、皆どこか浮き足だっているようだ。五十をすぎた支店長がピンク地に赤いハイビスカスがプリントされたアロハシャツを着て店内をうろうろするものだから、接客中も彼の姿が目の端にちらついて落ち着かなかった。

 陽が空の頂点に達した頃、接客の合間に一息つこうと立ち上がった。

 見覚えのある栗色の短髪が客のむこうに見える。カウンターに手をついて背伸びをする。

 ひょっこり顔を見せて手をあげたのは晃太郎だった。
 言葉を失っていると、パンフレットを眺めている客をかきわけながら、黒いポロシャツを着た晃太郎が近づいてきた。

「よう」
「どうしてここが……」
「あいつ名前なんだっけ、ほらあのコンガの」
「芽衣菜ですか」
「そう、それ」

 晃太郎はカウンターにおかれた客用の椅子に腰をおとして初音を見上げた。

「俺、一応、客なんだけど」
「……いらっしゃいませ。本日はどのような旅をお探しですか」

 混乱する頭を抱えながら無理に接客スマイルをつくると、晃太郎はうなずく格好をした。

「あの……何しにきたんですか」
「何って、旅を探しに」
「ほかに用があるんでしょう」

 強い口調で言うと、晃太郎はカウンターに肘をついて言った。

「俺の用件はコレさ」

 晃太郎は鼻歌を歌いながら、十本の指をカウンターの上にはわせた。

「……ピアノ?」
「そう。本気の演奏をもう一回聴かせてもらおうと思ってね」

 顔をあげてにやりと笑う。つりあがった瞳の奥に鈍く光るものが見える。
足下からせりあがってくる身震いをこらえて視線をそらした。

「あのときも真剣にやってました」
「本番中、やたら客席を気にしてた。いったい何が見えてたっていうんだ?」
「……別に何も」
「じゃあなんだ、物の怪でもいたか」
「そんなものいません。ほかに用がないならお帰りください」

 目を合わせないまま言ったが、晃太郎は腕をくんで座りなおした。

「用ならあるさ。今度、ライブの代打で福岡にいくんだ。世話になってるドラマーが風邪をこじらせてたんでね。急遽決まったから、交通手段と宿は自分で確保しないといけないわけだ。飛行機の往復チケットとおすすめの宿、とってくれるか?」

 そう言って地図を取り出した。福岡市内の地図に赤い丸がある。人差し指で赤丸の中をこつこつと叩く。このビル内にあるライブハウスにむかうらしい。

「探してくれないなら、ピンクのおっさんに言いつけちゃうよ」
「……かしこまりました」

 ため息をつきながら営業用のデスクトップパソコンを操作し始めると、晃太郎が画面をのぞいてささやいた。

「で、いつ聞かせてくれる?」

 低い声が体内に侵入して心臓を激しく打ちつける。
 動揺を悟られないように無心に検索ワードをうちこんだ。
 
 晃太郎の視線は宿の検索結果が表示された画面ではなく、初音にとどまっている。
 初音はマウスから手を離して言った。

「……木曜の夜七時からストリートライブにでます。それでよかったら、どうぞ」
「了解。あ、泊まるとこ、それでいいよ」

 晃太郎は口元に笑みを浮かべると、画面の中を指さして顔を遠ざけた。
 紺色のリストバンドを握って立ち上がる。

「じゃ、明日。飛行機のチケットよろしく」

 晃太郎はカウンターの上を指した。メモが残されている。

 足早に去っていくうしろ姿をながめながら、手元にあるメモを見た。住所、電話番号、生年月日、フライトの希望日時、滞在期間や宿泊希望の地域まで細かく記されている。
 生年月日から初音より七歳年上だということがわかる。荒っぽいものの言い方とは対照的に、繊細なリズムを思い起こさせる美しい楷書体だった。

               ***

 木曜日、ひとりで軽い夕食をとったあと、家を出るしたくをした。青いボーダー柄のプルオーバーに袖を通し、白のスキニーパンツをはく。