連載小説「六連星(むつらぼし)」第71話~75話
山本が育った若狭の海は、50年前から原発密集地の道を歩きはじめた。
若狭湾に突出している敦賀半島は、密度の高い原発半島として
注目を集めている。
先端部には敦賀原発があり、中間部に美浜原発があり、高速増殖炉で知られる
もんじゅの3つが建てられている。
先がけとなったのが、日本で最初の商業発電をおこなった美浜の
原子力発電所だ。
関西電力の当時の社長、芦原義重氏が原発建設の陣頭指揮を取った。
1965年1月。社内において「建設推進会議」が設置された。
「大阪万国博覧会に原子の灯」という合言葉のもと、1967年8月21日に
敦賀半島で、日本初の美浜原発1号機の建設がはじまった。
1970年7月29日。運転を開始した1号機が、臨界に達する。
1970年8月8日。大阪府吹田市で開催されていた日本万国博覧会の会場に
原発で発電された1万kwが試送電される。
同時刻。会場内の電光掲示板に、送電されたことが表示される。
美浜原発の1号機は、同年の11月28日から、正式な営業運転を開始した。
電力会社として日本で初めての、原子力による発電が
開始されたことになる。
全国で稼働している原発の54基のうち、14基が若狭湾に集中している。
日本に有る原発の26%が、若狭湾に有るという計算になる。
美浜原発はこれまでに、いくつかの極めて深刻な事故を発生させている。
しかしそれらの事実は、まったく世間に公表されていない。
長い期間にわたって、国民を欺いてきたことになる。
なりふりかまわず、国と電力会社によって建設がすすめられてきた原発は、
内部で事故が発生しても、1度も危険性を公表してこなかった。
「危険すぎるからこそ、世間に公表出来ない。」
これこそが電力会社が事実を隠ぺいしてきた、最大の理由だ。
隠したいわけでは無い。
隠さなければならないほどの重大な事故だからこそ、
常に隠ぺいが必要とされる。
真相を小出しにしてきた3.11の東電の姿勢と、まったく同じ構図がここにある。
原発の事故はそのまま、人命に関わる危機的事態に発展する。
そのことを誰よりも熟知しているのは、原発を運転している当の電力会社自身だ。
放射能の危険性を誰よりも知っているからこそ、自身の利益を守るために
電力会社は事故の隠ぺいと、事実の漏えいに神経をとがらせる。
国と政府もまた、原発の危険性を知りながら「安全神話」を振りまいてきた。
放射能が漏えいすれば危険な事態に立ち入りことは、原発のスタートの当初から、充分すぎるほど承知していた。
美浜で起きた数々の事故は、このことを明確に証明している。
美浜原発は数度にわたって放射能のデーターを改ざんし、同時に原発内で起きた
事故の実態と事実を隠ぺいしてきた。
1973年の3月(日付けは不明)。
美浜原発で、最初の事故が発生する。
1号機で、第三領域の核燃料棒が折損するという、事故が発生する。
しかしこの事故は、外部に一切明らかにされていない。
関西電力は、秘密にしたまま事故をおこした核燃料集合体を交換してしまう。
内部告発により、この事故が核燃料棒が溶融したと指摘をされるが
原子力委員会は、事実を追及しょうとしない。
それどころか、『溶融ではなく、何らかの理由で燃料棒が折損したものであり、
重大な事故ではない』のコメントを発表する。
しかしその後。この事故の件が、国会で取り上げられる。
厳しく追及された結果、原子力委員会がようやく事故の事実を認める。
だがそれらが明らかになったのは、実に、事故から4年後のことだ。
さらに1991年2月9日。
2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断して、原子炉が自動停止するという
事故が発生する。
緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動するという、緊迫した局面を生む。
この事故は、日本の原子力発電所において、はじめてECCSが作動したという、
初めての事態になる。
微量の放射性物質が外部に漏れ出したが、周辺環境への影響は見られないと
後になってから発表されている。
事故はさらに続く。2003年の5月17日。
2号機の高圧給水加熱器の伝熱管で、2か所に穴が開くという事故が発生する。
幸いなことに、放射性物質による外部への漏えいはなかった。
こうした事故を何度も繰り返してきた美浜原発は、2004年になってから、
ついに、蒸気の噴出という重大な事故を起こしてしまう。
死亡者5名。重軽傷6名と言う人的被害を巻き込む災害が、ついに原発史上で
はじめて発生してしまう。
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第71話~75話 作家名:落合順平