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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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紫音の夜 10~11(最終話)

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10.ブラザーシップ



 山から海に向かって吹きつける北風に思わず身を縮める。
 街中がクリスマスにむかってイルミネーションを増やし、行きかう人々がどこか楽しげに見える。
 どの店に入っても、うんざりするほどジングルベルが鳴っている。

 練習禁止令が出た日、真夜と伶次がどうしているか気になって、スタジオに足を運んだ。
 どこのバンドも練習のない日で、音楽練習棟は閑散としていた。
 地下に続く階段に枯れ葉が吹きこんでくる。エンジニアブーツの底で踏みしめると粉々に砕け散った。

 第五スタジオの前に伶次の姿はなかった。
 廊下が妙に広く、奥にあるスタジオの扉がよく見えている。
 背後から吹きつける風が冷たく感じた。

 帰ろうとすると、廊下の暗がりからライダースジャケットをはおった高木が姿を現した。

「葉月ちゃん? 何してんの、こんな暗いとこで」
「高木さんこそ……。今から練習ですか?」
「いいや、今日はフリー。ここに練習台を忘れていったから、取りに来たんだ。あいつら、来てる?」
「いえ、まだ会ってませんけど……」

 楽器も吹けないのに、他大生の真夜が来ているはずがない。

 高木は放置されているスティックの練習台をいくつか見比べて、あった、とつぶやいた。
 ネジをゆるめながら、ハードケースの上に出しっぱなしになっているレスポールのエレキギターを見つめる。
 練習台の脚を閉じて床におくと、ギターを持ち上げた。

「いや……来てるな。これ、祥太郎さんのギターだ。こんなものさわれるの、一人しかいないだろう」

 まったく、粗末に扱うなよな。
 高木はそうつぶやくと、クロスでギターのネックを丁寧に巻いてケースにしまった。

 第五スタジオの中から初心者のようなトランペットの音が聞こえる。
 くちびるを上手く震えさせられないのか音が長く伸びない。
 リズム感が皆無に近いドラムの音も響いていた。

 こんな時期に新入部員でも来ているのだろうか、と思っていると、高木が防音扉を押しあけた。
 中では黒いショートコートを着たままの伶次がトランペットを吹いていた。
 頬を膨らませて顔を赤くし、足をがに股に広げて立っている。
 そのななめうしろで下手なドラムを叩いているのは真夜だった。

 一応、同じ曲をやっているつもりらしいが、音もリズムもちぐはぐだった。
 視線を交わしてタイミングを合わせようとしている。
 高木が葉月を見てからため息をつくと、音が止まった。

「本物のばかだな、おまえら。何やってんの?」
「風を表現しているんです」

 真夜はブラシでライドシンバルをこすりながら、口で「しゅううう」と効果音を出した。
 徐々に勢いを増しながら、てんでめちゃくちゃにドラムを叩く。
 伶次は真夜の緩急に合わせて、トランペットとは思えないくらい息のつまりそうな高音を鳴らした。

「タイトルは、『嵐』」

 真夜は曲らしきもののタイミングを取ってそう言った。
 伶次はドラムの様子をうかがいながら壊れたチャルメラのような音を出す。
 ハイノートを出そうとトランペットを真上にかざすと、かわりに真夜が奇声を発した。

 となりに立っていた高木の体がわずかに揺れて、それまでの仏頂面が笑い顔に変わった。
 葉月も我慢しきれず、笑い声を上げた。
 二人が笑うほど、真夜はドラムと奇声を激しくした。

「もういい、わかったから」

 高木が笑いながらブラシを取り上げると、真夜は立ち上がった。

「どうです? 僕のセンス」
「最高だよ。こんなの聴いたことがない」

 真夜も高木も笑いあっていたが、伶次は右手にトランペットをぶら下げて黙っていた。
 高木は伶次の手ごとトランペットを持ち上げると、そっと指を離させた。
所どころに赤い傷跡が残っている。

「もうやめとけ。体、壊すぞ」
「はい」
「それから祥太郎さんの楽器、ほったらかしにするな。俺たち、触らせてもらえなかったんだからな」
「……はい」

 目を細めると、伶次の頭に手を乗せた。少しも怒っていなさそうだった。
 伶次はうつむいてしまったが、息をかみ殺して、泣いているように思えた。

 高木はトランペットをパイプ椅子の上に置き、真夜と伶次の背中を押した。
 二人ともおとなしく従った。

「さっさと帰れ。ばかなことしてないで、家で体を休めろ」

 防音扉のそばに立って彼らの様子を眺めていると、真夜が伶次に押し出されながら真新しい譜面をさし出してきた。

「これ、フライミーだけでも」
「ありがとう……あ、他の曲、自分で書きかえるよ」
「そう? 読める?」

 デイパックから無造作に取り出された『ストレート・ノー・チェイサー』の譜面は端がちぎれて、表記の違うものが何枚もあった。かなり難解そうだ。

「すぐには読めない……けど、これなら録音もあるし、やってみるよ」
「うん。じゃあ、また明日」

 去ろうとした真夜のダウンジャケットを高木が引っぱった。
 「そこにいろ」と言って真夜をとどめて、葉月の方にふりむく。

「ちょっといいかな」

 伶次が廊下に出たのを確認してから、第五スタジオの扉を閉めた。
 譜面から目を離して高木を見ると、先ほどまでとはうって変わって表情が曇っていた。
 葉月は息を飲んで言った。

「あの……私も早く治しますから……」
「いや、葉月ちゃんのことじゃないよ。伶次のやつ、煙草やってるみたいなんだ」

 ――煙草。初めて『パーディド』でライブをしたときは、今は吸っていないと言っていた。
 ぜんそく持ちで不健康そうなあの体に煙草は毒以外の何物でもないだろうと思った。

「吸ってるところ、見たんですか?」
「いや、現場は押さえてないんだけど、あいつを見てりゃわかる。でさ、俺が言っても聞かないだろうから、葉月ちゃんから言ってやってくれない?」
「やめた方がいいってことですか?」
「うん。死にたきゃ続けろって」
「わかり……ました」

 死という言葉が重くこだました。
 兄の祥太郎のこと、伶次の体のことを考えると、その言葉は息がつまるほど現実味を帯びていた。

「それと、真夜もなんかいけないことやってるだろ」

 心拍数が一気に跳ね上がる――絶対内緒だよ。真夜の声が頭の中に響いた。
 高木には言うべきなのかもしれない、そう思って唾を飲むと、ますます心臓が暴れた。
 彼は腕を組んで口の端に笑みを浮かべた。

「答えなくていいよ。ジャズの世界って昔っからそういうの多いだろ? 俺は将来性のあるプレイヤーがそうやって壊れていくのを何度か見てきたんだ。だから何となくわかるってだけ。真夜は……葉月ちゃんがいれば大丈夫かな」
「私には……何もできないんです」

 未だに治らない喉をさすりながら高木を見上げると、何も答えず、ドアノブを上げた。

「まだその辺にいるだろう。今日だけ、伶次といてやってくれないか」

 優しい声と昨日は見せなかった微笑みが浮かぶ。
 高木は廊下で待っていた真夜の背中を押して、二人で帰っていった。
 身長差のせいで、真夜が女の子のように見えた。



 正門を出たところで、伶次の姿を見つけた。
 角の擦り切れたギターケースを下げ、とぼとぼと歩いている。