紫音の夜 7~9
伶次が差しだしたCDを受け取ると、真夜は譜面をつめこんだファイルをあさった。
あの中にはおそらく五十曲以上入っているのに、すぐに目的の楽譜が見つけられるのには感心してしまう。
真夜は二枚ある楽譜を伶次に渡した。
伶次は五線紙を指さしながら、「ここを削ってこっちに飛んで、ここには4バースをはさんでドラムソロを……」と説明し始めた。
真夜は小刻みにうなずいている。
アート・ペッパーの演奏で有名な『ティン・ティン・デオ』は、フロントはアルトサックスのみで歌はない。
葉月はいつも練習を見ているだけだったので、構成はよくわからない。
しばらく様子をうかがっていたが、伶次がCDを取り出して真夜に聞かせ始めたので、長くなるなと思った。
葉月は少し離れたところに立つと、ロングトーンを始めた。
「あっいたいたー。一緒に練習しようよー」
そういって練習室にとびこんできたのはロングヘアの彼女だった。
葉月がマウスピースを咥えたまま目を丸くしていると、楽器のハードケースを持った彼女が真夜のすぐそばまでかけよった。
「おまえ、何しにきたんだよ」
「だって真夜くんってば最近ぜんぜん部室にこないんだもん」
「だからってよその大学まで押しかけてくるなよ。おまえは自分のところでやってろ」
真夜は彼女の肩を押したが、引き下がる様子は全くなかった。
「真夜くんだってよそ者でしょー」
「僕は伶次さんに呼ばれてるからいいんだよーだ」
真夜が子供っぽく舌を突き出すと、彼女も対抗するように頬をふくらませた。
「邪魔だから出てってくれる?」
伶次の言葉に二人の動きが止まった。
彼女が愛想よく微笑むのも無視して、真夜に楽譜の説明をし始める。
彼女がふりまいていた花のようなオーラが一気に消失していくのがわかり、葉月はほっとした。
おとなしく帰るのかと思いきや、テナーサックスを吹いている真っ最中の葉月の腕をひっつかんでスタジオから出ようとした。
「ちょっと……何するの」
「あなたも邪魔だから出るのよ」
彼女の力は思いのほか強くて、葉月はとっさにテナーサックスをかばった。
防音扉が閉まるのを確認して、彼女は言った。
「何その声。ばっかじゃないの。キャパオーバーのことしてるから足をひっぱることになるのよ」
薄暗い廊下で勝ち誇るようにして言った。
全く彼女の言うとおりだったし、何も言い返す言葉はなかった。
そこへトロンボーンを担いだ風子がやってきた。
「あっ性悪女。またしょうもないこと言いに来たんでしょ」
ロングヘアの彼女にとって悪態をつかれるのは慣れっこのようで、いーっと歯をむき出しにした。
「うるさい。真夜くんに悪影響を与えてないか確かめにきたのよ。私は隣のスタジオで練習して真夜くんと一緒に帰るんだから、入ってこないでよねっ」
「何言ってんの、部員でもないのに……」
風子がまだ何か言おうとしていたのも聞かず、彼女はさっさと隣のスタジオに入ってしまった。
彼女が持っていたのは、間違いなくテナーサックスのハードケースだった。
ケースを見る限り、葉月と同じメーカーのものらしい。
「ねえ風子、他に空いてる練習室ってあったっけ」
「ないわよ。今から一軍バンドの練習だもん」
ということは、真夜の彼女と同じスタジオで練習しなければならない。
六畳しかない狭い部屋の中、よりによって、同じメーカーのテナーサックスで。
葉月が肺の奥から息を吐きだすと、風子が同情するように肩を叩いた。