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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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紫音の夜 1~3

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2.偶像



 合宿最終日のお披露目ライブは散々な結果で終わり、多くの課題の残したままお盆休みに突入した。
 お盆期間中は大学全体が閉まっているので、練習に向かうこともできず、葉月はアルバイト先の喫茶店で接客に明け暮れる日々を送った。

 テナーサックスを始めてから、楽器の維持費にずいぶんとお金がかかるよう
になった。
 
 葉月が愛用しているラ・ボーズのリードだけでもひと箱十枚入りで三千円から四千円はかかる。
 しかもそのうちの半分は使い物にならず、気に入ったものもいずれは消耗してしまう。
 それに比べると、ヴォーカルは安くすむものだな、と考えても仕方のないことばかり思い浮かんだ。

 真夜や高木とも合宿の夜に会ったきりた。

 伶次は1軍バンドが出場する全国規模のジャズコンテストの練習が忙しそうで、声をかけるのもためらうくらい、張りつめたオーラを放ち続けていた。
 やはりあれは夢だったのかもしれないと思うほど、現実に埋もれたまま無為な一週間を過ごした。

                 *** 

 八月の終わりにようやく部活動のオフが明けた。
 
 葉月は喜び勇んでトートバックに譜面をつめて大学に向かった。
 一週間も吹かなければ元の感覚を取り戻すのにまた一週間かかることもわかっていたが、真夜が来ているかもしれないと思うと心が浮き立った。
 
 と同時に、真夜が言い残した言葉がずっと引っかかっていた。

 ――やめといた方がいい。

 葉月自身にフロントに立つ資格がないという意味なのか、アルトサックスとヴォーカルのフロント二本立てなどやめた方がいいということなのか、それ以前にコンボに入るなと言っているのか――

 真意を聞けないまま、真夜とは別れてしまった。

 伶次からは練習に来るように言われているので発声練習もしてきたが、わだかまりは解消しないままだった。

 二軍ビッグバンドの練習は週に二回、伶次が率いる真夜のコンボも週に二度ほどの予定を組んである。

 音楽練習棟の地下には複数のスタジオが存在する。
 そのうちの大小四つのスタジオを葉月が所属するジャズ研究会が優先的に使用させてもらっている。
 コンテストで好成績を残せばもっと多くの部屋を占有できるはずだ、というのが伶次の持論だった。
 
 当の本人は、全体練習のときくらいしかスタジオに入らず、いつも薄暗い廊下でウッドベースを弾いていた。
 スタジオの鍵が借りられる朝一番の午前十時に行っても、夜八時の最後の時間まで残っても、伶次は必ずいた。
 
 コンテストの結果は入賞にはとどかず十五位に終わったが、伶次は憑き物がおちたかのようにすっきりとした表情でベースを弾いていた。
 いったいいくつのバンドをかけもちしているのだろうと考えてしまうほど、いつ見ても違う曲を練習している。

 伶次が陣取っている第五スタジオ後方の扉から少し離れ、息をひそめながら様子をうかがっていると、三回生の先輩に肩を叩かれて飛び上がりそうになった。

「鞍石さんって、いつもいますよね」

 あわてて取りつくろうようにそう言うと、その人は意味深な目をして、笑って言った。

「あの人はここの主だからね」

                 ***


 その廊下の主がライブチケットをくれたのは、暦の上では秋を迎えようとしている暑い昼下がりだった。

 スタジオのちょうど真上にあたるラウンジには人気がなかったが、エアコンは稼働しているようで心地よい涼しさを保っていた。

 同じ二軍バンドのトロンボーンを担当している風子と並んでテーブル席に座り、コンビニで買った冷麺のパックを開封しようとしていると、伶次がやってきた。

 黒いVネックのカットソーに、首には皮ひもで作られたチョーカーをつけている。
 アクセサリーをつけていても、大学構内によくいる軽い男という雰囲気は全くなく、銀の飾りがついたチョーカーは皮膚の一部のように体になじんで、とてもよく似合っていた。

 伶次は風子と適当に世間話を交わしたあと、葉月の前にライブのチケットを二枚さし出した。
 場所は今度、真夜のコンボが出演する予定の『パーディド』というレストラン・バーらしい。
 出演するヴォーカリストはこのあたりじゃ有名な人で、とお勧めのCDまで出してきた。

「本当は篠山さんと一緒に行きたかったんだけど、俺、その日は別のバンドのライブがあってだめなんだ。せっかくだし、あげるよ」

 出演者を見てみると、フロントは前半がヴォーカルで後半はアルトサックスのようだ。
 隣に座る友人の視線が痛いほど気になったが、伶次を見上げて言った。

「いいんですか?」
「もちろん。近いうちに俺達も出演する予定だから、勉強もかねて行ってきなよ」

 最近、伶次はにっこりと笑う。
 見るたびに心臓が縮んで、この人はこんな表情もできるのだと思う。
 近寄りがたいと感じていたこと自体、嘘のようだった。

 伶次が立ち去ると、風子は葉月の両肩をもって揺さぶった。

「なになにー? 葉月っていつの間に鞍石さんと付き合ってたの?」
「そんなんじゃないってば」
「じゃあいつの間に二人でライブに行く仲になってたのよ」
「まだ行ったことないって」

 葉月が気の抜けた声でそう言うと、風子は並んだチケットをしげしげと眺めた。

「そういえば鞍石さんって、部員の誰かと付き合ってたことってあるのかなあ?」
「さあ……」

 曖昧に返事をして、開けっ放しになっていた冷麺に具材を放りこんだ。

 伶次が過去に誰と付き合っていたかなど、自分が詮索しても仕方がないと思いながら、生ぬるい冷麺をすすり上げた。

                 ***

 その後、数日かけて友人たちをライブに誘ってみたが、あえなく全員に断られてしまった。

 チケットをどこで手に入れたのかと聞かれて、伶次だと答えるたびに、「篠山さんと一緒に行きたかった」という声が頭の中で再生された。

「この人、知ってる?」

 朝から第二スタジオにこもってアルトサックスを吹いていた真夜にチケットを見せてみた。
 あたり一面に、音符を乱雑に書きこんだ譜面が散らばっている。

 この部に中学高校時代からの知り合いが多くいるからか、他大学の学生とは思えないほど真夜はなじんでいて、当たり前のように楽器を置いて帰ったりしている。

 真夜はキィを握ったままのぞきこんできた。

「何回かライブに行ったことあるよ。へえ、パーディドに来るんだ」
「鞍石さんがくれたんだけど、一人で行くことになりそう」

 そう言いながらリードを取り出し、口に咥える。
 ある程度湿らせないと吹きづらいものだとずっと思っていたのに、真夜はいつもその動作をせずにいきなり吹き始める。

「ふうん。この女の人の声、ちょっと篠山さんに似てるかもね。低めのよく通る声。僕、けっこう好きだよ」

 チケットを手に取る真夜の姿を見て、ためしに誘ってみようかと思った。もうこのさい誰でもいいやという気持ちと、真夜と行ってあの言葉の真意を確かめたいという思いがあった。