冬空からの贈り物
中学の時だって学校が終われば自分はすぐに家に帰って、遅くまで部活や勉強ばかりしてる奴らをどこかで見下していた。何、真剣になってんだよ。暑苦しいんだよって。頑張る事、真剣になる事は格好悪い事だって思っていた。入試もそれとなく受かりそうな高校を受験し入学した。高校に入ってもそんな自分という人間はそのままだった。環境が変わったところでいきなり劇的に何かが変わる訳でもない。特にいじめられる事もなければ、これといって好かれる訳でもない。だから親友と呼べる奴も俺にはいない。自分の周りにいてる奴らは気がついたらつるんでて、ただ時間つぶしに中身のない会話を繰り返しているだけだ。深入りしても結局それが壊れてしまったら何も残らないし意味なんてない。だから俺はこんな感じなのかもしれない。どこかひねくれてて、どんな事でもほどほどの距離を保つのが丁度良い。適当に流されるように生きててもどうにかなる。そりゃそんな奴が急に自分らしくない事をやろうとしたって、昔から染み付いている感覚みたいなものはなくならない。適当に生きてきた人間は、いつまで経っても適当だ。だから俺はこれからも今まで通りあつくなる事もなく流れに身を任せ続けるんだろう。
この仕事だって同じだ。テレビや実際に街で見かけるティッシュ配り。ただティッシュを人に配るだけ。一見、簡単そうで誰にでもできるように思う。けどそう思っている事さえ俺にはろくにできなかった。成り行きはどうであれそれは変わらない事実で、そもそも俺が何かに一生懸命になろうって事自体が無理な話だったんだ。
気がつけば辺りは暗くなり入り口前にある時計の針は九時を指していて、地獄の様な仕事時間が終わったという事を告げていた。デパートもシャッターが閉まり、最後の客はポツンと一台だけ駐車場に停まってあった車に乗り込み、エンジンの音を響かせながら去って行った。
——肌寒い風が今の自分の心に追い打ちをかけるように入り込んでくる。段ボールの中のティッシュはほとんど残ったまま。結局、俺はこの程度だ。何も変わらないしこれが当たり前。俺にとっては当然の結果なのだろう。デパートを後にしようと歩き出した瞬間、俺はとんとんと誰かに肩を叩かれ振り返る。
「お疲れさま」
そこにはさっきのトナカイ君が立っていた。俺のサンタクロースもそうだがデフォルメ化されて愛らしい雰囲気が出ているとはいえ、こうやって間近で見るとなかなか迫力がある。背は俺よりかなり低いみたいだけど。まぁとりあえず一緒にこの戦場をくぐり抜けた同士には違いない。話すのはあまり得意じゃないが少しくらいなら……
「男の人だったんだーっていうか、同い年ぐらいかな?」
トナカイ君はこっちを見ながらそう言った。
さっきから聞こえていた元気ハツラツな声の主である事は確かだったが、近くで聞くと声のトーンが思っていた以上に高めで、さらにその発した言葉の内容がキャッチャーに向かってボールを投げたのにいつの間にか自分の後頭部にぶち当たるという恐るべき変化球だった。
男の人? 同い年? じゃあそう言うトナカイ君は一体?
俺の頭の中が大炎上を起こしているのもお構いなしで、目の前のそいつは着ぐるみをすっぽりと脱いでみせた。
「え……」
その瞬間俺は、体の全機能が停止した様に固まってしまった。
衝撃的な何かと遭遇すると人間はこんな状態になるのかもしれない。
そんな俺の目の前に立っていたのは、トナカイでもなくサンタクロースでもなく宇宙人でも幽霊でもネッシーでもアウストラロピテクスでもなくただの美少女だった。ただのと言っても「二次元からつい出て来ちまったよー」と言わんばかりのすんげークオリティの高いやつだ。俺の中で勝手にすんげーと位置づけされたその少女は艶やかな髪をバサッと揺らし、着ぐるみを被った時にできた乱れを手グシで整えている。短めに切りそろえられた黒髪と猫のように切れ長で大きな瞳、はにかんだ口元からうっすらと見せる八重歯が妙に色っぽく感じた。っておいおい話が違うじゃないか? てっきり中に入ってるのは筋肉隆々でむさ苦しいおっさんだと思ったら……
——トナカイ君はどうやらトナカイさんだったらしい。
「えっと……その俺十六なんだけど……」
俺は油を注されていないロボットのようなコミュ障っぷりを発揮していた。
「じゃあやっぱ同い年じゃん!そんな君には……はい、あげる!」
突然、目の前にココアを差し出される。
「こ……これは?」
「すっごーく、おいしいんだよ」
そして冬の寒さを吹き飛ばして季節ごと変えてしまうんじゃないかと思わせる、真夏のひまわりのような笑顔を向けた。
俺は差し出されたココアをサンタの手袋越しに受け取りほっとする。まだ温かい。仕事が終わって近くの自販機で買ったんだろうかなんて考えながらココアを眺めているとやたらと派手なラベルが目に飛び込んできた。
(どすこいココア)
なんつー名前だ。そこには巨漢の力士が張り手を繰り出しているイラストが描かれていた。見るからに暑苦しい。本当にすっごーくおいしいんだろうか? 不安になってくる……まぁせっかく奢ってくれたんだし目の前のこの子に申し訳ないという気持ちもあって、とりあえず飲んでみる事にした。
どすこい……どすこい…………どすこい………………………………あ、意外といける。
意味不明な呪文を心の中で復唱し、もしもの時のために精神を落ち着かせていたが予想を大きく裏切ってなかなかの美味だった。俺が満足そうな表情をしていると、彼女もさらに笑顔になって
「でしょー」
とあたかも自分が製造している張本人のように誇らしげに言った。
夜のデパート前。あたりにはほとんど人の気配はなく、遠くからうっすらと車の走っている音なんかが聞こえるぐらいで、今から何時間前かのあの騒がしさは一体何だったのだろうと思ってしまう静けさだった。どすこいココアを飲んでくつろいでいるサンタとトナカイ。変な状況だ。
ちょこんと建物の壁にもたれて満足そうにコーヒーを飲んでいる少女。トナカイの着ぐるみから顔を出しているため、ただのコスプレのように錯覚してしまう。俺はふと気になった事があったので聞いてみた。
「……あのさぁ君、結局ティッシュ配れたの?」
彼女は自分の後ろに置いてあった段ボールの中身を俺に見せる。俺は目を疑ってしまった。そこには俺と大して変わらない量のティッシュが山を作っていた。そんな……なんで……
「ぜーんぜん。みんなちっとももらってくれなかったよ」
それでも彼女は笑顔だった。何でそんなに笑顔でいれるんだろう……俺が配れなかった理由はわかっている、途中からいつもみたいに適当になって投げ出したからだ。けど……彼女は違う、見る限りずっと一生懸命頑張っていた……
「ティッシュ配り難しいねー、思ってたよりもずっと大変だったな」
俺は黙って彼女の言葉を聞いていた。そして気がつけばいつものように皮肉や時間を埋める為の言葉ではなく、素直に感じた言葉が自分の口から出ていた。
「……でも君すごいよな、全然あきらめないで。何度も声かけにいってさ……」
「そんな事ないよ」