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ガラスの雨ともう一度

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 ボッ、カッ、カッ、シュッ、シュッ。
 “おい、本当に頼むぞ。道具だけは壊してくれるなよ”
 「大—丈—夫!任しといて!」
 俺の愛用のバーナー。を握っているのは悪魔。ご丁寧に腕捲りまでして、やる気満々の様だ。
 “使い方、分かってんのか”
 「平気だって、もっと信じてよ!」
 そうは言っても、と俺は思う。
 悪魔を信じろなんて、何の宗教より胡散臭い。そもそも「俺の生きていた頃を見に行く」って何だ。行ったらどうなるって言うんだ。
 「じゃ、やるよー!」
 何処から調達したのか重そうなローブを着て、悪魔は何やら呪文らしきものを読み上げる。やがて、溶けていた大釜の中のガラスが竜巻の様に天井を目指し始めた。それは成長すると共に光を放ち、眩しさに目がくらむ。かすかに悪魔の叫ぶのが聞こえた。
 「しっかり立っててー!」

 目を開ける。いつもと何ら変わらない煉瓦造りの壁が、俺と悪魔を囲んでいた。
 “おい、何も起きないじゃないか。どうなってるんだ?”
 悪魔を見やる。にんまりと笑った目が俺を見上げていた。落とし穴にはまってくれる人を、物陰から今か今かと覗いて待っている様な目。直感した。
 “お前・・・騙したな!”
 嘘だった。会えると思ったのに。期待していたのに。過去に行けると知った俺の反応で遊んでいたんだ!
 “ふざけるな、悪魔ぁ!”
 ローブの上から翼を掴んで捻る。悪魔は尚も笑顔で返す。
 「セクハラ、やめてよ。乱暴だなぁ」
 “五月蝿いぃぃぃ!”
 細い喉笛に手を伸ばしかけた時、ちゃぽんと大釜の中で音がした。見ると、まだ液体のままのガラスの塊が、ふよふよと宙を漂っている。
 “え・・・”
 それは少しずつ分裂して、形となり、色づいていく。いつの間にか辺りは壁では無く、四方にスクリーンをひいたみたいな白一色となっていた。やがて——
 「ほら、貴方だよ」
 病院の中に、俺と悪魔は立っていた。いや、正確には半透明の病院の床を、斜め下から見上げていた。ベッドも、照明も、横に立っている医師も看護婦も、全てガラスで出来ている。だが、大きさや形は本物と一切変わらない。半透明の看護婦さんが、口を滑らかに動かす。
 「日向さん、良かったですね。元気な男の子だこと」
 ベッドに横たわる女性と、工場服の様ななりでその側に立つ男性。2人とも手を取り合い、ガラスの涙を流している。自分が知るよりずっと若かったが、俺にはその2人が誰だか分かった。何十年振りかに声が出る。
 「父さん、と、母さん・・・」
 その声に両親が気付いた。母は俺を生んだばかりで大変だろうに、ベッドを降りてこちらに来る。ガラスの体には関係無いのだろうか。と、母親の姿が急に10歳程老け、一番記憶に残っている、俺が10代の頃によく見た母の姿になった。
 「昌ちゃん?貴方、いつの間にそんなに大きく・・・」
 昌ちゃん。
 思い出した。俺の名前、昌平。日向昌平。
 「母さん。俺、この時代のずーっと未来の昌平なんだ。ちょっと過去を見に来た」
 「まぁ・・・」
 俺の外見の変化は、40歳の前後から停止していた。だから今、おそらく母さんより5つ程下なのだろう。
 「これが昌ちゃん。まあー、立派になって。でも目元や何かは、そんなに子供の頃と変わらないのね。直ぐ分かったわ」
 懐かしい。母の声。血の繋がった人との対面。
 「有難う。この頃の俺、どんな感じ?」
 母は目を細めて、ふっと笑う。
 「とっても変わってるわ。周りの子が社長になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか言ってる中で、あの子は『ガラス細工の職人さんになりたい』って言ってるの。近所の子は馬鹿にしたけど、昌ちゃんは『旅行で行ったお土産店のガラス細工を作ってたお兄さんは、とっても格好良かった』って言って、他の夢には目もくれない。意志の強さには本当に感心するわ!」
 そうだった。それが俺の志望動機。今聞くと照れ臭い様な気もする。
 「『僕はあのお兄さんがくれたガラスの蝶が世界で一番の宝物なんだ。僕もいつか、誰かの宝物になる様な作品を売るんだ』って、キラキラした目で熱く語ってくれて。どう?その夢は叶った?」
 「う・・・」
 少し口ごもる。だが、もう永い間自己満足でやっているとは、言えない。言える筈が無かった。
 「うん・・・」
 「よかった。頑張ってね!」
 母の腕が胴に絡む。俺も母を力一杯抱きしめた。
 次の瞬間。

——パリン

 「・・・え」
 周りが真っ白に切り替わる。俺の足元には大量のガラス片が山になっていた。悪魔はつまらなそうに尻尾を揺らす。
 「あーあ、あんまり強く抱きしめちゃ駄目なんだー。ガラスなんだからね?」
 「嘘・・・」
 呟くと同時に、残っていたセットにヒビが入る。父親も道具の台も、全てが頭上から土砂降りの如く降り注ぎ、見るも無惨に崩れ落ちていく。
 「あっ・・・ああー・・・」
 床に積もった、俺が生まれた日の残骸。唖然と立ち尽くす俺の肩を、黒い翼が叩く。
 「そんなにがっかりしないで。次、行くよ」