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連載小説「六連星(むつらぼし)」 56話 ~60話

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 『Facebook』も『ミクシィ』も、実在することが大前提だ。
ハンドルネームやニックネームを使って交流しているバーチャルや仮想の
サイトとは、大きく異なる。
自分のデータ―を基にして、交流のためのネットワークを自力で構築していく。
現実的な人のつながりをネット上で再現をすることに、大きな特徴がある。
古い友人と、数十年ぶりに再会を果たしたいう事例などもある。

 「あ、見つけた。
 やっぱりいたましたねぇ、伴久ホテルの若女将が。さすがに時代に敏感です。
 あら、ブログへの案内があるわ。
 抜け目なく、ホテルの営業も紹介していますねぇ。
 たしかに、フェイスブックは世界中に向かって配信されている
 サービスだもの、
 有効活用すれば、大きなビジネスチャンスにもなるはずです。
 じゃ、私も、お友達の申請をしておきましょう。
 家出娘からの突然のアクセスだもの、
 女将もきっと、目を丸くしてびっくりするだろうなぁ。
 あれ・・・・被災地でボランティア活動している写真のようです。
 湯西川温泉有志による仮設住宅への慰問活動か・・・・
 あれ、あらぁ・・・・何処かで見たような女性が写っていますねぇ。
 これは、お母さんだ」


 響が画面を、食い入るように見つめる。
伴久ホテルの女将と並んで、被災者たちとにこやかに談笑をしている
母の清子の横顔が写っている。
(足尾銅山のボランティアにも参加しているくらいだもの、
当然と言えば当然です。
こうして今、日本中の人たちが、被災地のために立ちあがっているんだ・・・)


 響が、今朝見てきたばかりの、広野町の光景を思い出している。
まったくの、無人と化してしまった住宅街。
道路にあふれて、福島第一原発へ急ぐ大量の車の群れ。
壊滅的な被害を受けたのも関わらず、圧倒的な人員を動員して短期間で
再稼働までこぎつけた広野の火力発電所。
手つかず状態のまま、いまもがれきが残る海辺の光景。
破壊された家々が放置されたまま、火力発電所だけが稼働している
不思議な光景。
この差は、いったいどこから生まれてきたのだろうか・・・・
おぼろげながら、そうした格差がようやく響にも見えてきた。

 それでも被災地には、優しさと明るさが有る。
駅員の優しい心使いや、きわめて快活にふるまうかえでのような美しい笑顔が、
響のこころに残った。


 政府や行政に期待できない事実を、被災地のみんなが理解をし始めた。
復興という道は、一人ひとりの人間が成し遂げていく長い時間をかけた闘いだ。
日本の政府と行政の実態は、災害に対してはまったくの後進国だ。
東北を襲った大震災は、政府と政治家の無能ぶりの実態を如実にあらわにした。
一年が経過したいまでも、そうした事実にあの日のままだ・・・・



 地震と津波は、自然がひきおこした『天災』だ。
だがその後の復旧の遅れと、原発と迫りくる放射能に対する中途半端な対応は、
『人災』以外のなにものでもない。
こんなにも危険な原子炉を、なぜ止めないのだろう・・・
一度事故が起これば、いまの人類の知恵と技術力では暴走を止めることは
出来ない。
福島がそのことを、見事に証明した。
日本の豊かな未来のために、何が有っても原発の再稼働は許しことは出来ない。
響きの中に、新しい結論が生まれようとしている。


 いまだに仮設住宅での暮らしを強いられている、東日本大震災の被災者の
意識状態を調べたアンケートがある。
アンケートの結果、きわめて興味深い事実が浮かび上がってきた。
仙台市と、岩手県宮古市田老地区の仮設入居者、計200人に
アンケートを行った結果東日本大震災の被災地全体の復興が「全く進んでいない」あるいは「緒についたばかり」
と答えた人が、阪神大震災1年後の1・7倍にのぼった。


 回答者自身の現在の生活についても、東日本大震災の被災者が
「全く」「緒に」とした回答が阪神の被災者の1・5倍を超えている。
暮らしに関しても、復興の“遅さ”を実感していることを如実に示した。

 被災地全体の復興はどこまで進んだと思うか、という質問には
「全く進んでいない」から「完全に復興した」までを7つの段階に分けて
聞いたところ、
「全く進んでいない」が38・9%。「緒についたばかり」は
44・7%にのぼり、2つを併せて80%を超えている。


 「個人の生活の復興はどこまで進んだか」の回答では、
「7割がた復興した」「ほぼ復興した」との回答は、合計で5%しか無い。
阪神震災の回答21・7%の、4分の1以下という結果が出た。
単に「遅い」と思うだけでなく、一定程度復興したと感じる被災者の
「少なさ」を如実に浮き彫りにする形になった。

 「またおいでね、福島へ」といって、本気で泣いていた楓さんの顔がまた、
響の脳裏に、くっきりと浮かんできた。

「わたしはまた近いうちに、その後の復興を見届けるために
 きっと必ず、広野へ行く」

 響の身体の中を、熱いものが決意となって激しく走り抜けていくのを、
車窓の中で感じていた・・・・