連載小説「六連星(むつらぼし)」 56話 ~60話
「おっちゃんは不良のくせに、足尾で植樹のボランィアをしているでしょ。
トシさんたちと、原発労働者の救済もしている。
どうみても、不良らしからぬ振る舞いをしている部分が有るじゃないの。
矛盾するようなことを、平然と実行しているんだもの。
どういう意味があるのかと思って、聞いてみたの」
「任侠道というものは、本来、人道と仁義を重んじる。
困っていたり、苦しんでいる人を見ると放っておけない。
彼らを助けるために体を張る、自己犠牲的な精神のことを任侠道という。
別の言葉で、仁侠(じんきょう)、義侠心(ぎきょうしん)、侠気(きょうき)、
男気(おとこぎ)などとも言うな」
「へぇ~、さすがに大学を卒業した不良は、いう事が違うわねぇ。
言うことに、蘊蓄(うんちく)があるもの」
「馬鹿野郎。俺はこれでメシを食ってんだ。
しかしなぁ、今の時代の任侠道は、すっかり地に落ちて失墜した。
知ってっか、お前。任侠ってのは、中国で生まれたものだ。
きわめて古い歴史を持っているんだぞ」
「え?・・・悪代官を切りすてて、故郷を追われた国定忠治とか、
街道整備や港湾事業に貢献したと言う、清水の次郎長の時代などに、
生まれたとばかり思ってたわ。
へぇぇ、もともとは中国で生まれたものなの。知らなかったなぁ」
「これだから素人は困る。
任侠は、中国の『春秋時代』に生まれた。
情を施されたら、命を果たしてでも恩義を返す。
そこまでして義理を果たすという精神が、重んじられた時代が有る。
法で縛られることを嫌った者たちが、任侠に走った。
戦国四君という、4人の任侠者がいる。
食客や任侠の徒を3千人も雇ったことにより国を動かしたと言われている。
彼らは戦乱の諸国からも、高く評価をされた。
四君の中でも、特に義理の高い信陵君を慕っていた劉邦という男は
任侠の徒から、ついには皇帝にまで出世をした。
任侠を題材にしたのが『史記』に出てくる「遊侠列伝」だ。
登場人物の朱家はとくに有名だ。
貧乏ながらも助命をすることが急務として、逆にそのことで
礼を言われることを嫌っていたため、とりわけ名声が高かったという。
だがそれ以後。任侠は庶民の間で地位を得て、権力者たちの脅威になった。
『史記』「遊侠列伝」の著者である司馬遷が、『仁侠』の志を知らずに
彼らをヤクザやチンピラなどと勘違いして馬鹿にするが、
それは悲しいことだ、と述べている」
「志(こころざし)を大切にする世界なんだ、任侠というのは・・・・」
「そうさ、響。
東映映画の高倉健は、俺たちの絶対的なあこがれだった。
もっとも切った張ったの話ばかりで、肝心の弱いものを助けると言う
『義』の部分は、まったく映画の中では出てこなかったがな・・・・
日本でも、任侠を主体とした男たちの生き方を「任侠道」と呼ぶ。
それを指向する者たちのことを、「仁侠の徒」と呼んでいた時代があった。
まあそれも悪政がはびこっていた、封建時代までの話だろう。
政治が安定して法治主義が隅々にまで行き届いてくると、
そうもいかなくなる。
任侠の精神は、社会の最下層の人間や、非合法の輩の間でしか
存在できない状態になってくる。
法治国家における無頼の輩が、相互扶助を目的に自己を、組織化した。
これがいまの、「暴力団」と呼ばれるものだ」
「わあ、凄い。おっちゃんはやっぱり、インテリやくざだね」
「当たり前だ。
今の時代、頭が悪い奴に不良はできねぇ。
俺の知り合いには、東大や京大を出た奴がごまんと居る。
その辺りに居る弁護士先生なんかよりも、はるかに法律問題に詳しい。
とはいえどう弁解しても、いまの任侠組織は、反社会的な存在そのものだ。
一般市民にたいする暴力行為や恐喝、闇金融による不法な取立て、
覚せい剤の密売、不法移民に対する人身売買まがいの行為などなど、
非合法の活動を数え上げればきりがねぇ・・・・
本来の任侠道とはかけ離れ、まったく対極に位置するような
行為を行っているのが、いまのヤクザ組織の実態だ。
いまどきの暴力団には、義理も人情も残っちゃいねぇ」
「でもさ。わたしの目の前に居る岡本のおっちゃんは、いまでも
義理人情を大切にして生きているじゃないの」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」 56話 ~60話 作家名:落合順平