ステファニー・キーツの死(後編)
飲み終えてしまったオリビアは、カフカ神父が全く口をつけていないコーヒーも欲しそうな表情を示したが、カフカ神父がそれに全く反応しないのを見て、話の続きを始めた。
「私、友人のフリをしていたけど、アレイシアもステファニーも大嫌いでした。2人とも私から見て、いい子ちゃん過ぎたんです。それに、とても美人だったし。多分、私の嫉妬だったんでしょうけど。アレイシアは敏感な子だったから、そのことには多分気づいていたんだと思います。私のことかなり避けていたから。でも、ステファニーは人の気持に関してはかなり鈍感だったから、私にボブのことを相談しにきたんでしょうね。ステファニーからボブを好きだと聞かされた時、私は彼に告白するように言いました。実はステファニーから相談を受けるよりも前に、ボブからも相談を受けていたのです。アレイシアと別れて、ステファニーと付き合いたいのだがどうすればいいのか、と。そのこともあったし、大嫌いな2人を困らせてやりたいという思いもあったから、私はステファニーに告白するように言ったんです。でも、彼女は渋ってました。諦める、とも言ってました。まあ、ステファニーの性格ならばそう思うのも当然のことでしたし、大切な友人のボーイフレンドを取る気にはなれなかったんでしょうね。だけど、私は諦める必要はないと言ったんです、2人を別れさせるいい案がある、ともね」
その時のことを思い出したのか、オリビアは一瞬間を置いた。オリビアが今話そうとしていることは、この悲劇的な事件を何者か―――オリビア自身はそれがアレイシアの『亡霊』だと思っているが―――に起こさせてしまった元凶なのだ。それに、この話をすることは、彼女自身が罪を犯したということを自分自身で認めてしまうことにもつながるからであった。
カフカ神父は無言という表現で、心の中で葛藤しているオリビアに先を話すように促した。それで決心がついたのか、オリビアは真直ぐにカフカ神父の目を見つめてきた。
「どうして、あんなことを思いついたのか、私自身、今では判らないんです。だけど、その時は本当にいい案なんだと思い込んでいました。―――私、私の男友達に、アレイシアを襲わせたんです」
「………」
カフカ神父の形のいい細い眉が僅かながらに上がった。
その僅かな表情の変化に気づくことなく、オリビアは先を続ける。
「ボブはプレイボーイ気取りで、女の子にはとても手の早い人だということは知ってましたから、アレイシアともそれなりのことをやっていたと思っていたんですけど、そうじゃなかったみたいで。だって、その後、アレイシアは襲われたことのショックで自殺してしまったみたいだから。遺書にもちゃんとそのことが書かれていたのだ、とアレイシアのお姉さんから後で聞きました。私が男友だちをけしかけたことは書いてなかったみだいだけれど、多分、アレイシアはそのことは知らなかったはず。だから、このことは私と、アレイシアを襲った男友だち以外誰も知らないことのはずだった。私もそう思ってた。でも、ステファニーが、そして、ボブまでがあんなことになってしまって……」
カフカ神父の手が、自分が先ほど置いたグラスに触れた。溶けて小さくなった氷が、中で大きく揺れる。
「後悔は、していないのですか?」
漸くのこと話が終わりを告げ、閉じていた口を漸くカフカ神父は開いた。
「後悔?後悔ですって!?」
オリビアは又もや立ち上がる。興奮すると立ち上がってしまうのは、彼女のクセのようだ。
「ええ、ええ、とっても後悔してまる。私があんなことさえしなければ、誰も死ぬことはなかったんですもの!」
「本当に、そう思っていますか?」
「勿論よ!この期に及んでまで、嘘はつきません!」
「………」
カフカ神父もゆっくりと立ち上がる。立ち上がった瞬間神父服の袖口が軽く当たり、グラスが倒れてしまう。しかし不思議なことに、グラスからコーヒーが零れだすことはなかった。それどころか、手を触れてもいないのに、グラスはまるで倒れたことなどなかったかのように元の位置に戻っている。それは本当に一瞬の出来事で、オリビアの目には留まらなかった。
「し、神父様!私は全部本当のことを話しました。ですから、どうか、私を助けて下さい!アレイシアの『亡霊』から私を護って下さい!」
「………」
カフカ神父がオリビアに背を向けた。
「―――本当は、貴方のような人間を助けることは私の意に反することなのですが、アレイシアさんの『魂魄』を救うためにも、貴方のお力になるしかないようです」
大きな溜息と共に、言葉が吐き出される。
「ほ、本当ですか!」
「ええ。本当です」
顔だけを振り返し、カフカ神父は頷く。
オリビアの顔に喜びの笑みが浮かび上がった。
カフカ神父は神父服の内側に手を入れると、小さな黒い箱のようなものを取り出した。携帯電話だった。
銀色のアンテナ部分を引き出すと、シャープ記号と数字の『1』を押した。携帯番号に記憶させているロス市警殺人課クルーズ刑事直通の短縮ダイヤルだ。ちなみに『0』番が、彼の携帯の番号である。カフカ神父が勝手に拝借し、勝手に登録したので、後で知った本人には大声で怒鳴られた。勿論、ケロリ、としたものだったが。
数秒コール音を聞いた後、うまい具合にその場にいてくれたらしく、本人が出た。
「あ、クルーズ刑事ですか?私です。貴方の恋人のカフカですよ。え?気持悪いって?そんな言い方なさらなくてもいいじゃないですか……って、まあ、冗談はこれくらいにして、実は貴方に折り入ってお願いしたいことがありまして……」
カフカ神父はオリビアに聞いたことのあらましを全てクルーズ刑事に語って聞かせた。
「それで、貴方にお願いというのはですね。是非、オリビアさんに護衛をつけて戴きたいと思いまして……」
クルーズ刑事の唸り声が電話口から漏れ出てくる。事件はエル・ハードを逮捕したことで終結しており、信じがたいカフカ神父の話で警察が動くわけにはいかない、と言いたいのだろう。しかし、カフカ神父は1歩も引かなかった。
「いいですか、クルーズ刑事。もし、オリビアさんの身に何かがあったとしたら、全て貴方の責任ですよ。私はこうやってお願いしているのですからね」
再び、唸り声が聞こえてきた。今度の歯、悩んでいるという雰囲気を漂わせている。
しばらくして、カフカ神父の満面に笑みが浮かんだ。渋々ではあるが、クルーズ刑事がオリビアに護衛をつけることを約束してくれたのである。一週間だけ、という期限付きではあったが。
「だから、私は貴方のことが大好きなのですよ。是非、宜しくお願い致しますね」
<俺は、お前なんか大嫌いだよ>とカフカ神父にとっては心に響く痛烈な言葉を浴びせかけ、クルーズ刑事は用件が終わったとばかりにさっさと電話を切ってしまった。
「―――つれない人ですね、いつまでも……」
哀しげな表情で、カフカ神父が呟く。
その隣に、いつの間にかオリビアが来ていた。心配げな表情でカフカ神父の顔を見上げてくる。
「し、神父様が護ってくれるのではないのですか?」
「相手が貴方の言うアレイシアさんの『亡霊』ならば、ね。ですが……」
その先をカフカ神父は続けようとはしなかった。
作品名:ステファニー・キーツの死(後編) 作家名:かいや