ステファニー・キーツの死(前編)
ロスの下町育ちのクルーズ刑事にとって、丁寧な言葉づかいをすることは何よりも苦手なことだった。だから、今のようなフォースの母親との会話も、クルーズ刑事にとってはかなり困難なことだった。それならばしなければいいと思うものが大半であろうが、クルーズ刑事も男。美しい女性の前では、格好もつけたいのだ。だからといって、決してクルーズ刑事は彼女に惚れているというわけではないが。
しかし、そんなことに一向も構うことなく、彼女は眉根を寄せ、我が子を見つめた。
「フォース、貴方はまたミスターを困らせているのですか?」
「そ、そんなことしてないよ。ただ、俺は、人が溜まって何があったのか気になって、それで……」
ボソボソとフォースは言い訳めいた言葉を口にする。当然、母親の説教を受けたくない為だ。
「何言ってる。それだけじゃないだろ?お前、この事件が『悪霊』の仕業だ、みたいなことを言ったじゃないか」
「そんなこと、言ってねぇ!」
「いいや、言った。大体、お前は……」
フォースの母親が大きな青い瞳で自分を見つめていることに気づいたクルーズ刑事は、言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。美しい女性に見つめられ、クルーズ刑事の顔は一瞬赤味を帯びた。慌てて、顔を背ける。
「セ、セリーナ。俺は思うんだ。こんなとこで、あんな変態野郎と一緒に暮らしてるから、こんな風にこいつ育っちまうんだぜ?子供にはもう少しいい環境を……!?」
言ってしまってから、クルーズ刑事は後悔した。
教会の、今の時代には珍しい樫造りの大きな扉の前に、クルーズ刑事のこの世で最も苦手をしている男が立っていたからだ。
彼こそがこの教会の今の持主で、クルーズ刑事曰く、変態野郎の、カフカ神父であった。クルーズ刑事が変態野郎と呼ぶには少なからぬ理由が存在するのだが、それは今語ることではないだろう。
腕を組み、大人の男にしてはかなり細身の身体を扉に立てかけさせ、カフカ神父は三人の姿を見ていた。
この神父、神父にしておくのには勿体ないまでの美貌をしている。切れの長い目に、高く通った鼻梁、形の整った美しい唇。それらが、小さな卵型の顔にきちんと規則的に並んでいる。俗に言う黄金率という奴だろうか。長くしている前髪のせいで時たましか見えない紅茶色の瞳に、何人者女性たちが卒倒したという伝説(!?)がクルーズ刑事の耳にも伝わっている。それはいくらか大袈裟なこととしても、男のクルーズ刑事でさえも、ハッ、と思わせるほどの美貌ではある。あの、時たまクルーズ刑事だけに見せる嫌味ったらしい笑みさえなければだが。
「お久しぶりですね、クルーズ刑事。今日は、また、どういった御用件でいらっしゃったのですか?私に会いにきてくれた……わけではないですよね?」
カフカ神父の言葉には、常に温かく優しい響きがある。神父という職業柄、自然と身についたものなのであろうが、それがまた、クルーズ刑事には偽善者ぶっているようで、気に入らなかった。妙に、彼にばかり絡んでくるし。
苦々しげな表情でカフカ神父の言葉に答えようとしたが、彼よりも早く10歳の少年が口を開いた。
「このクソ刑事、俺の言ってることを全く信じようとしないんだ。俺はちゃんとこの目で見たのにさぁ。その上、俺が速い車とか苦手なの知ってるくせに、とんでもないスピードでここまで連れてきやがったんだ。酷いと思わねぇ?」
「……フォース、貴方の言っていることには脈絡がなくて、どう取ったらいいのか私には判らないのですが……?」
本当に困っている表情をカフカ神父はみせた。
フォースは1歩カフカの方へ近づいた。
「だから、俺、母さんの言いつけで、街に買い物に出かけたんだよ。そのことはお前も知ってるだろ?」
「ええ、まあ……」
傍若無人な物言いながらも、カフカ神父はいつものことだと気にすることもなく頷く。
「で、買い物した帰り、たまたま近くで殺人事件があったらしくって、俺、興味があって覗いてみたんだよ。そしたら……」
「何です、フォース。貴方は、また、私の言いつけを破ってそんなことをしたんですか。あれほど、ダメだと言ったでしょう。クルーズ刑事にご迷惑がかかるんですよ」
だが、フォースそんな言葉を一向に気にせず、自分の話を続ける。
「まあ、そんなのはどうでもいいじゃん。それより、この話はまだ続きがあるんだ。俺が覗いた時はもうその女の人の死体は片付けられようとしてたんだけど、そん時、俺、見たんだ。死体の側に『悪霊』の姿が……」
「それは、本当ですか?」
カフカ神父の紅みがかった茶色い瞳に煌いた光が、フォースの話に対して興味が湧いてきていることを示していた。
ここぞとばかりに、フォースは強く頷く。
「本当だよ。俺、ちゃんとこの目で見たんだから」
濁りのない綺麗な自分の青い瞳を、フォースは指差した。
「ほら、みろ。お前のせいで、このクソガキまで変なことを言うようになっちまったじゃねぇか」
カフカ神父とフォースの会話に、クルーズ刑事が割り込んできた。先程喋ろうとしてフォースに先を越されたので、少々機嫌が悪いようだ。いつも以上に、カフカ神父に対しての言葉に刺がある。
カフカ神父の視線が、クルーズ刑事の方に向けられた。その時、一瞬、哀しげな表情をカフカ神父がしたような気がして、クルーズ刑事は、ドキリ、とした。が、気のせいだったようで、次の瞬間には、いつものカフカ神父の顔に戻っていた。
「フォース、貴方がそう言うのなら、間違いはないでしょう。貴方がそういった類のものを身間違えるわけがないことは、この私が一番よく知っていますからね」
フォースの顔に嬉しそうな笑みが浮かぶ。
反対に、クルーズ刑事は呆れたような表情を見せた。
「おい、カフカ。お前、それ、本気で言ってるのか?」
「勿論、本気ですよ」
クルーズ刑事の問に、カフカ神父は首肯する。
「お前、馬鹿か?そんなモン、本当にいるわけがないだろうが。大体、俺は、そんなモン見ちゃいない。俺だけじゃない。あそこにいた皆がそんなモンは見ちゃいないんだ」
もし、誰か見た者がいたとしたら、フォースが騒ぎ出すよりも先に、騒ぎになっていただろう。
「貴方がた―――貴方には見えていないからでしょう。いいえ、本当は見える『力』があるのに、そういった類のモノを認めていないから、貴方には見えないのです。人間は誰しも、昔は……」
「知ったような口をきくんじゃねぇ!!」
突然、クルーズ刑事がカフカ神父を怒鳴りつけた。本気で怒っているのか、額には青筋が浮き出ている。カフカ神父の言葉の何かが、クルーズ刑事の心の内にある何かを傷つけたのかもしれない。
クルーズ刑事は三人に、クルリ、と背中を向けた。
「そのガキはちゃんと送り届けたからな」
自慢の電気自動車に乗り込むと、エンジンをかけ、さっさと元来た道を戻って行ってしまった。
「な、何なんだよ、あのクソ刑事……」
フォースがぼやくように悪口を言う。
カフカ神父は暫くの間複雑な表情でクルーズ刑事の乗った自動車を見送っていたが、すぐにフォースの方に視線を戻した。
「―――で、何を見たんでしたっけ?」
「だから、『悪霊』だよ、『悪霊』。お前、感じないの?」
作品名:ステファニー・キーツの死(前編) 作家名:かいや