ステファニー・キーツの死(前編)
最後の言葉はフォースに対する嫌味であったが、フォースにはこの程度のことはちっとも応えない。
「何とでもいいな、このクソ刑事」
舌さえ出してきた。
クルーズ刑事の端正な顔に、青筋が現れた。ロス市警の敏腕刑事と呼ばれている男にしては、このクルーズ刑事、かなり気が短い。
フォースの頭を拳で殴りつける。
「相変わらず口のへらねぇガキだな。さっさと、ママの所にでも帰りやがれ!」
「やだね!誰があんたみたいなクソ刑事のいうことなんか聞くかよ」
フォースは腕を掴んでいる警官の股間を蹴り上げた。
警官が股間を押さえ、苦痛の雄叫びをあげる。
その警官とクルーズ刑事との丁度空いている隙間を擦り抜け、フォースは逃げようと試みた。だが、伸ばされたクルーズ刑事の腕に簡単に捕えられた。猫のように、シャツの襟首を掴まれる。
「丁度、署に戻るところだ。お前をママの所にまで連れて行ってやるよ。そんでもって、説教でもしてもらわなきゃな」
「くそっ!放せ!この変態野郎!!」
じたばたと暴れるフォースを、日本で製造された自慢の電気自動車に放り込んだ。
そして、トニー巡査の方に振り返る。
「俺は署の方に戻るが、後でバーカスをこっちにやる。被害者の両親は、署の方に連れてきてくれ。後の指示は、バーカスから出して貰う」
「はい、判りました」
トニー巡査の言葉を背後に聞きながら、クルーズ刑事は電気自動車の運転席に乗り込んだ。
エンジンをスタートさせる。この電気自動車は自動操縦することも可能だったが、クルーズ刑事は自分でハンドルを操作する方を好んでいた。
軽く、身体が上昇する感覚にとらわれる。車体の下部から物凄い勢いで空気が送り出されているせいだ。
水陸両用のホバークラフトのようなもんを想像してくれたらいいだろう。あれを小型化したようなものが、この自動車なのだ。ただ、ホバークラフトと違うのは、太陽電池仕掛けのモーターでも車体を浮かすことが出来る、ということだろう。
この製品は、今年の初め日本の『HONODA』という自動車メーカーが開発したもので時価にして数万ドルとも言われている自動車だ。
そんな高価なものを何故クルーズ刑事が乗り回すことが出来るのかというと、あるテレビのクイズ番組で視聴者へのプレゼントになっていたものを、いつもは全く運から見放されているはずのクルーズ刑事が、この時ばかりは運が良かったようで、当選したのだ。クルーズ刑事の周囲では天地が引っくり返るほどの騒ぎになったものだが、クルーズ刑事自身は大して嬉しくなさそうな態度をとっていた。だが、やはり本当は嬉しかったのだろう。それ以来、クルーズ刑事は公私ともにこの電気自動車をて乗り回している。
自動車がスタートすると共に、フォースのクルーズ刑事に対する罵倒が、再び始まった。
「この糞っ垂れ!俺を降ろせよ!!」
「………」
「降ろせってんだ!!」
「………」
「こんなことしてただで済むと思ってんのか!カフカに言いつけてやっからな!」
「―――ほう、そうか?」
『カフカ』という名前に多少反応したものの、クルーズ刑事は車に乗り込んだ時よりは幾分か怒りを収めた様子で、アクセルを強く踏み込む。
「そうだよ!大体、あんたは……!?」
フォースの顔に恐怖の色が浮かんだ。クルーズ刑事が自動車のスピードを上げたためだ。
実はフォース、威勢のいい割にはジェットコースターとかそういった類のスピードの早いものを酷く苦手としている。それをクルーズ刑事は長年の付合いから知っていたから、わざと車のスピードを上げたのだ。
「どうしたんだ、フォース。さっきの威勢は何処に行った?」
フォースの蒼褪めた顔が可笑しいのか、クルーズ刑事はニヤニヤしている。
「て、てめぇ、覚えてろよ。本当にカフカに言いつけてやるからな」
「御自由にどうぞ」
クルーズ刑事の電気自動車はハイウェイを抜け、次第にロスアンゼルス郊外の町並みへと入ってきた。
この辺りは、科学の波が押し寄せることもなく、18世紀から19世紀に建てられた建造物が彼方此方残っており、そこで住み暮らす人もかなりの人数がいた。
懐古主義的な観のあるクルーズ刑事はこういった郊外の様子にかなりの好感を抱いていた。もし自分が妻を持ち、子供を持ったとしたら、こういったところで家を持ち、暮らしたいとも思っていた。目下のところ、刑事という職業のせいなのか、そういう相手の気配は全くない。モテないということもないのだが、どうしても仕事優先となってしまう為、付き合ったとしてもすぐに相手に逃げられてしまう。ただ、去られても構わずにいるから、クルーズ刑事としても彼女らに対して本気ではなかったのだろう。
日の光が零れる木の間を潜り抜け、さらにクルーズ刑事は車を進める。
辺りに家々が見えなくなってきた町の外れに、目的の教会はあった。
その教会は10数年ほどまで荒れ果てていたのを、この近所に住んでいた従姉を度々訪ねてきていたクルーズ刑事は知っていた。この教会は前の持主であるラスモンドという名の神父が派遣されてから徐々に整備されていき、今では郊外の建物の中でも一際立派な建物になっている。とはいっても、派手さはなく、静かな佇まいを見せてはいた。
教会の前で、近所の子供たちが玩具のレーザーガン片手に、遊び回っている。その子供たちの間をうまいように擦り抜け、クルーズ刑事は電気自動車のエンジンを止めた。
「よし、降りろ」
顔面蒼白になっているフォースの手首を握ると、クルーズ刑事は無理矢理自動車から引き摺り下ろした。
自動車の止まる音が中にまで聞こえたのか、教会から一人の婦人が顔を覗かせた。婦人という言葉を用いているが、彼女は全くもって若く美しい。まだ、二十代の前半といってもおかしくはない面立ちをしている。しかし、何処となくその面差しはフォースに似たところがあり、且つフォースと同じ黄金に輝く髪を持つところからも、彼女がフォースの母親であることは明白だった。
母親が出てきたことを知ったフォースは、叱られるとでも思ったのだろう。クルーズ刑事の腕を振り解き、逃げようとした。
「こら、お前は!!」
逃げ出そうとするフォースの細い腕を、クルーズ刑事はもう一度掴んだ。
「ミスター・クルーズ。その子が、また、何か?」
フォースの母親が尋ねてきた。声の調子から、彼女が酷く息子を心配している風に思えた。
クルーズ刑事は、フォースに見せた表情とは全く正反対の優しい表情をしてみせた。決して他意があったわけではないが、彼女の人格というか、存在そのものが、クルーズ刑事に自然とそういう表情をさせた。
腕を掴んだまま、クルーズ刑事はフォースの身体を母親の方に突き出した。
「いえね、こいつ、例の好奇心を発揮して、俺、いや、私の捜査している事件に首を突っ込もうとしてきたんで、こうやって連れ帰ってきたってわけです」
作品名:ステファニー・キーツの死(前編) 作家名:かいや